劣等感と優越感の狭間で…



あの人はとても大人で、とても優しくて……

だから、あの人の近くに人が集まるのも当然なわけで

それでも、それがとても嫌だと思ってしまう自分がここにいる。


乾がレギュラー落ちしてから、乾が誰かに呼ばれることがとても多くなった。
それは、顧問の竜崎先生であったり、手塚であったり、他のレギュラー陣であったりと様々だが、どんな状況で呼ばれても乾はそこに行くから、皆、何かあった時には、安心して乾を呼ぶ。
いつの間にか、当たり前になってしまった情景。
大人びた風貌と、穏やかな空気を持つ乾は、テニス部になくてはならない存在になっていた。


「乾、練習メニューの事なんだが…」

今日もまた、乾を呼ぶ声がある。
それを快く思わない者が一人。
青学2年レギュラーの海堂 薫である。
またか…
いつも、いつも、皆、何かあると乾を呼ぶ。
彼にも彼の時間がある。
そんなことを、考えもしないで……
それが、海堂には許しがたかった。
確かに今、彼はレギュラーではない。
だからといって、彼が二度とそこに戻らないわけではない。
いつか、絶対に戻ってくる。
それは、例えようもない確信として、海堂の中にはあった。
なのに、あの人にも練習する時間が必要なのに……


許せなかった
自分たちの都合で、あの人の時間を邪魔する人間が
誰よりも、自分のエゴであの人の時間を奪っている、自分が……
だからこそ、他の人間が彼を呼ぶのが許せなくって……
ただでさえ、自分が彼の時間を奪っているのに、他の人までがって……
なんて汚い人間なのだろうと思う。
自分は、自分が強くなる為に彼の時間を邪魔しているのに
それを他の人間がするのは嫌だなんて


わかっている
本当は、そんなことじゃなくて……


「どうした?」

睨みつけるように見ていたからだろうか?
手塚との話が終わった後、乾は真っ直ぐに海堂の元に寄ってきた。

「妬いてくれてるの?」

ひっそりと耳元で囁く声に、海堂の頬が朱に染まる。

「誰が…」

妬くかよ。
そう、海堂が答えても、乾には通じるはずはなくて、

「そういうことにしとうこうか」

と返されてしまった。

「ところで、今日も来るでしょ?」

恥ずかしくて俯いてる海堂に、ふと乾が話題を変える。

「……ウス」

どこにとは言わないのが、この男らしいと、海堂は答える中、そう思った。
そして、言われなくてもわかるほどに、自分とこの人は一緒にいるんだと思えたら、嬉しくなった。

「乾、少しいい?」

自分の考えに、少し気分をよくした海堂の耳に、また乾を呼ぶ声が聞こえる。

「あぁ。じゃあ海堂、後でな」

自分を呼ぶ声に、乾が海堂に声をかけて去っていく。

「また…」

その背中を見送って、海堂は自分の中の渦巻く闇を吐き出すように、息を吐いた。


本当は、自分以外の誰かの声が嫌だった。
他の誰かに呼ばれる彼。
そして、そこに言ってしまう人。
いつか、本当に去っていかれてしまいそうで…
いつも、見送る背中にこっそりと行かないでと囁いている。


自分以外の誰かが、あの人と話している。
それが、とても苦しくて……
下らない嫉妬だって気づいてはいるけど
自分ではどうすることも出来なくて……
惨めな気持ちでいっぱいになる。


我侭なんだということは知っている。
それでも
どうか、この想いが通じるのなら
俺以外の前で
他の誰かの前で
そんな風に笑わないでください…


「…邪魔…じゃないですか?」

部活後、約束したとおりに乾の家に海堂は来ていた。
いつものようにデータをまとめるためにパソコンに向かう乾と、その間、適当に雑誌を読んだりして待っている海堂。
いつもなら大人しく、乾の作業が終わるのを待っているのだが、今日は部活中に考えていたことが不意に思い出され、いてもたってもいられなくて、問いかけてしまっていた。

「何が?」

海堂の言葉に、乾が振り返り、訝しげな声を出す。

「俺…」

問い返され、海堂が小さな声で答える。

「どうして?」

海堂の声が、あまりにも辛そうで、乾はパソコンの電源を落として、海堂の横に座る。

「先輩には、先輩の時間があるし…」

震える拳を握り締めて、泣きそうな声で話し始める。

「先輩だって、やらなきゃいけないことたくさんあるだろうし・・・」

今、乾がどんな顔をしているのか、見るのが怖くて、海堂は俯いたまま話し続ける。

「なのに、俺…」
「そんなこと、考えてたの?」

話の途中でも、ここまでくれば海堂が何を言いたいのかわかってしまう。
だから、乾は最後まで海堂に話させることなく、打ち切ってしまう。
このまま、海堂の辛そうな声を聞くほうが嫌だったから。

「馬鹿だな。お前を邪魔に思うことなんかないよ」
「でも…」

乾の言葉に、海堂は反論するように声を漏らす。

「大丈夫だよ。俺は他人のために、自分を犠牲にするタイプじゃないから」

わかってると、そう想いをこめて、海堂の髪をクシャリとかき混ぜる。

「自分の時間はちゃんとあるから」

練習する時間はあるよと、言外にこめて。

「それに…」

スルッと海堂の腰に腕をまわし、自分の体に海堂をおさめる。

「薫といる時間が、俺には一番、大切だから」

お前だけは、いいんだよと乾は言う。
24時間全てを、君のために費やしたとしても、それが君のためになるなら、俺はそれで幸せなんだ。

「だからさ、お前は何も、苦痛に思う必要ないんだよ」

海堂の漆黒の髪に、唇を寄せて乾が囁く。

「俺も…」

腰にまわされた乾の手を掴んで引き寄せる。

「俺も、あんたと一緒にいる時間が一番……好き」

だから…

「どんな時でも、俺の傍にいて下さい」

引き寄せた手に唇を寄せて囁く。

「ずっといるから」

海堂の腕から、自分の腕を奪い返し、寄せられた唇を指でなぞる。

「ここに」

指の感触に薄く開かれた唇を持ち上げて、しっとりとした口吻を交わす。

「お前の隣に…」

Fin