零唄  -Love Song-



夏が終わり、三年が引退した
別れる前に…
最後に着ていた青のレギュラージャージがはためいていた

「それ、どうするんっすか?」

空へと靡いた、彼のレギュラージャージ

「うん?折角だから記念に大事にしまっとこうと思ってるけど」

最後に見た、空と服の青のコントラスト

「どうかした?」

それは終わりのイメージになって、心に残る

「……先輩……」
「何?」

それもあったし、これから逢える時間も少なくなるこの人の物が欲しかったこともあって、それがとても欲しかった。
けれど、そう言われて言葉は口から滑ることはなく……

「……いえ…何でもないっす……」

言えなかった心からの望み

「アナタの物が欲しいんです」


春が過ぎ、手塚たち三年レギュラーが卒業して海堂は最上級生になった
部活のほうも有難くない役職を頂いて、去年のようにただ自分が強くなることだけを考えていればいいわけでなく、部を強くするために、桃城と喧嘩することも少なくなって先代たちの凄さ、大変さを改めて認識した頃には、既に桜も散って、新緑の季節へと移り変わっていた。

「地区大会が終わったからって、気を抜くんじゃないよ」

部活のほうも、地区大会を突破して、今は都大会へと向けて練習をしていた。

「都大会にはルドルフ・山吹・氷帝・不動峰と強豪が揃ってるんだからね」

レギュラーの大半が初めての公式戦。
地区大会は何とか都大会への出場権を獲得出来たものの、去年のような余裕はなかった。
今のままでは、都大会の組み合わせ次第では危うい。
それを実感させられた地区大会。

「都大会敗退なんて情けない結果になったら、先輩がたに申し訳がたたねぇんだ。てめーら、力入れろー」

竜崎の後を引き継いで、桃城の力強い声がコートに響く。
いつも以上に練習に身が入る部活。
去年の自分たちがどれだけ恵まれていた環境にいたのかを痛感させられた。
そして、自分がどれだけあの人に甘えていたのかを嫌になるくらい思い知らされた。
先人たちの足跡を汚さぬように、情けない結果にだけは終らせるまいと皆が必死の現在…

「週末休みが欲しいなんて言えるわけがねぇ」

約束があるわけじゃない。
あの人だって、今年のうちの脆さは危惧していたし、俺が役職につくことも予想していたから今度の日曜のことについては触れはしない。
今度の日曜…俺の十五回目の誕生日。
去年は先輩が上手く取り計らってくれて、学校も部活も休んで二人で旅行に出かけた。
でも今年は…

「海堂?何ボサッとしてんだ?」
「…何でもねぇ」

この状態の部を置いて休めるわけがないことくらい、嫌でも自分が一番良く知っていた。
部活を休みにするわけにもいかないから、一緒にいることすら出来ない。
まだ同じ学校なら、二人で過ごせなくてもせめて一緒にいるくらいは出来たのに…

「海堂先輩、コート入んないんっすか?」

越前に声をかけられた。
その声に我に返ってコートを見れば自分の順番が来ていたらしく、相手がコートに入って待っていた。

「……」

これじゃダメだと、自分の頭を軽く振る。
今、自分が考えるべきことは部活のこと。大会のこと。
決して、こんな甘えたことを考えるべきじゃない。
そう考えを直して、俺はコートへと足を向けた。
それでもせめて、部活の後にでも逢うだけでも出来ないだろうかと、最後まで甘い望みを捨てきれないまま……


カレンダーに視線を向ける。
緩やかに指でなぞり、今日から次の日曜までの日々に触れる。
もうすぐ訪れる大事な人の生まれた日。
最上級生になった君は、本当に忙しそうで逢うことすらままならない。

「きっと待っててくれると思うんだけどな」

それでも、泣きごとは言わないだろう君。
最上級生になって、テニス部を桃城と引っ張っていかないといけなくなって、色々と大変だろうけど、泣き言も相談もしてくれない。

「本当はずっと待ってったんだけど」

俺から声をかけてもいいんだけど、そんなことをしても君は何でもないとそう言うだけ。
そんな寂しい現実を予測出来るだけに、俺はその言葉すら言えないんだって君はきっと気付いてないね。

「俺は支えあいたいんだよ」
同じ空を見つめているであろう君に、そっと呟いてみた。


「いっ…ぬい〜」

次の日、部活中に人の背中に飛び乗るのは、高校に入っても変わらない菊丸。

「英二、乾が重いだろ」

その菊丸を嗜める大石もその髪型とともに健在だ。

「いいな、英二。僕も…」
「やめろ、不二。乾を襲うな」
「どういう意味かな?手塚」
「河村が部活を止めたからと言って、乾に構うな」
「別に僕が誰と仲良くしようが手塚には関係ないでしょ」
「他の誰であろうが関係はないが、乾は別だ」
「ったく、相変わらずの乾フリークなんだから。さっさと海外にでも行けばいいのに」

冷戦を常に続けている手塚と不二も変わらない。

「相変わらず、僕の子羊ちゃんたちは仲が良いですね〜」

そして、中学校の頃から変わらない大和部長。
こうしてみると、中学1年の頃に戻ったようだけど、時の流れはそれでもあって自分の夢のために部活を止めた河村の存在やあの頃、出逢わなかった海堂の存在があの時とは違うのだと自分に教えてくれる。

「丁度よかた、大和部長」
「何ですか、乾君?君が僕に用事があるなんて珍しいですね」
「少しお願いがありまして」
「お願いですか?」
「ええ。今度の日曜なんですが、俺を含めてこいつら五人休ませてください」
「乾?」
「え?どうしたにゃ?」
「てっきり一人で休むと思ってたよ」
「喧嘩でもしているのか?」
「してないって。上手く言ってるよ」
「理由を聞いてもいいですか?」
「はい。実は…」

大和部長とこいつらを連れて部室へとその理由を話すために向かった。


5月11日 日曜日
快晴

青学テニス部はいつものように休日でも練習が入っていた。

「海堂先輩、来てるんっすね?」
「来てたら悪いのか?」
「いえ、休まないくてよかったんっすか?」
「……」
「今日でしょ?」
「……私情を部活に挟むもんじゃねぇ」
「去年は思いっきり挟んだくせに」
「うっせい。去年のようにはいかねぇんだよ」
「何だ、てっきり別れたのかと思ったのに、残念」
「っざっけんな」

言いたいことだけ言ってコートに行く越前。
海堂は睨んでいた視線を外し、長い息を吐く。

「叶うなら…」

越前の言葉に本当に望んでいたことを思って、海堂は忘れるように頭を振る。
それをどれほど海堂が渇望していたとしても、今、こうして部活に出ているのも海堂の意志なのだ。

「今更、どうしようもねぇ…」

もう自分は部活に出ていて、彼もまた高校の部活に出ているのだから。

「全員集合!!」

顧問の竜崎の声がコートに響き渡る。
コートに入っていたものも、柔軟をしていたもの、ボール拾いなどの雑用をしていたものも全員がその声に従って、顧問のいる場所へと集まる。

「よ〜し、全員集まったね」
「バァ…っと、先生、何か練習に変更でもあるんっすか?」

竜崎が部活中に顔を出す時は、大抵、そのまま練習させている。
集める時などは大抵がメニューに変更などがあった場合で…

「俺たちは何も聞いてませんが?」

役職付きの海堂・桃城の最低でもどちらかにはその場合、話がいってるのだが、今日に限っては二人とも聞いていなかった。

「だろうね。私も今、変更を決めたところだからね〜」
「ハァ?」

楽しそうに答える竜崎に部員たちの表情は一斉に?マークを浮かべている。

「何だい、揃いも揃って変な顔して」

誰のせいだ!
その叫びは全員、心の中にしまっておいた。

「それで、変更点はどこっすか?」

最初に立ち直った海堂が竜崎に変更点を訊ねる。

「全てだよ、全て」
「は?」

またもや、部員の表情は不可解なものへと変貌する。

「さっきから、変な子たちだね〜」

だから、あんたのせいだろ!
とはやっぱり言えない部員たち。

「全てって?じゃあ、どんな練習に変えるんっすか?」

今度は桃城が訊ねなおす。

「今から練習試合を始めるよ」
「「「練習試合〜?」」」

竜崎の口から飛び出した言葉に、全員が声を揃える。

「何だい、不満でもあるのかい?」
「不満ってーか、なぁ」
「…あまりにもいきなりですし…それに…」
「大体、練習相手ってどこなんっすか?」

竜崎への返事というか、反論は桃城・海堂・越前の順で確信へと触れていった。

「練習相手ね。ほら、出ておいで」
「「「っ!」」」

竜崎の声の直後、コートにはためく6つの青。
一年前と同じレギュラージャージを身につけた、今はもう引退して高校へと上がった先代たち。

「練習相手って…」
「こいつらからの有難い申し出だよ」
「俺たちも最初からやり直しでね、あまりコートに入れないんだよ」
「ようするに、俺たちが試合したくなって遊びにきたってこと」

大石と菊丸が、ここいにいる理由を説明する。

「久しぶりだから、お手柔らかにね」
「ダメだよ、タカさん」

高校からはテニスをしていない河村の気弱な声に、不二が優しく反対する。

「やるからには全力で行くよ」
「そういうことだ。お前たちも全力で来い」

真剣な表情の乾と手塚。

「「「「はい!」」」」
「負けらんねぇな、負けらんねぇよ」
「絶対、勝つ」
「遠慮なんかしませんよ」

OBの言葉に気合を入れた現・レギュラー。

「ところで、お前たちは一人足りないけどどうするんだい?シングルスを減らすかい?」
「それなら、僕がダブルス・シングルス両方に出るから問題ありません」
「こちらはダブルスに黄金ペアに不二・河村。俺と不二と手塚の三人がシングルスで行きます」

竜崎の質問に不二が答え、乾が予定していた組み合わせを発表する。

「ふむ、じゃあうちは…」
「ダブルスはどっちが来ても、余裕だにゃ」
「英二そういう言い方は問題だぞ」
「言い方はどうあれ、まだ数えるほどしか組んでないペアに負けるのは先輩の威厳に係わるよね」
「ペアってやつを俺とふ〜じ子ちゃんで教えてやるぜ、バーニングー!」

ダブルス四組が顔を見合わせる。

「不二がシングルスにも出るんで、こちらは不二・河村ペアから」
「わかった。よしお前たち、先輩だからって遠慮することはない。ドーンといっといで」
「「はい」」
「ワンセットマッチ」

一般部員の一人が審判をする。
彼の声の後始まった試合。
結果は、ペアを組んでる年数分にお互いが恋人同士という高校生組が両ダブルスともに余裕で勝利を収めた。

「負けたけど、悪いことばかりじゃない。今の試合はお前たちのダブルスとしての欠点が如実に表されていたしね」
「「「「はい」」」」
「練習の改善も必要っすね」

現役組は終ったばかりの試合の分析と反省を即座に全員で始める。

「中々、上手くやってるじゃないか」
「僕らの時みたいに、やけに分析やらが上手いのとか、威圧感のあるのとかがいないからね」
「にゃるほど、だから皆で話して決めるんだにゃ」
「英二・不二、それは俺らに対する嫌味か?」
「やだな、乾。誰も乾や手塚のことだなんて一言も言ってないじゃない」
「何故、そこで俺の名前が出るんだ?」
「手塚、マジボケにゃ」
「はいはい、さっさとシングルスに行こうか」

真面目な現役チームに対し、高校生チームは今も昔も変わらずに、和気藹々と雑談をかましていた。

「そっちはもう大丈夫」
「はい、万全っすよ」
「で、どういう組み合わせっすか?」

誰が誰と試合するのか、それぞれに思うところもあって、興味津々な桃城・海堂・越前。

「一人で二戦もする僕に優先権があるんだよね?」
「ああ」
「そういう約束だったしな」
「ということなんだよね、在学中に決めれなかったし勝敗を付けようか?」

うっすらと瞳を開いて越前に微笑みかける不二。

「そうっすね。負けませんよ」

怯むことなく、対峙する越前。
シングルスは一回戦から好カードのようだ。

「てっきり越前は部長とすると思ってたけど、不二先輩か…ってことは、俺は部長か乾先輩ってことか…」

一回戦の組み合わせを見て、桃城が乾と手塚のほうに視線を投げかける。

「どっちがきても、勝ちますけど」
「桃城、本気で来い」

挑戦するように声を出す桃城に、手塚の静かな声が返ってくる。

「部長が相手っすか。相手に不足はなしってとこっすね」
「遠慮はいらん」
「勿論、遠慮なんかしないっすよ」

二回戦の組み合わせは静と動の闘いを見るコトが出来そうだ。

「じゃあ、俺は…」
「俺とだけど…嫌?」

最後に残ったのは海堂と乾。
確認するように口を開いた海堂にいつの間に横にきたのか乾が声をかける。

「まさか。本気で行きますよ」
「当たり前でしょ。俺も遠慮はしないよ」

恋人の雰囲気もどこかへ、二人の間には心地よい勝負の前の緊張感に包まれていた。


「最終試合を始めるよ」

各試合の勝敗はあまり必要性がないので(えらいいいようでごめんなさい)、ここでは皆様のご想像にお任せすることにして、残るは乾と海堂の試合だけになった。
テニスコートに向き合って、対峙している二人。
そこにあるのは勝負に賭ける真剣な二人の姿。

「ワンセットマッチ、乾サービスプレイ」

乾のサーブから始まった試合。
中学と高校と学校が離れてしまってからは、あまり逢うこともままならずに、一緒に練習…試合をすることすら出来なくなってしまっていた二人にとって、この試合はとても懐かしいと思えるくらいに久しぶりのことだった。

「ゲームセット」

二人して無心でボールを追いかけた。
ただ勝つために全力を尽くして

「ウォンバイ乾」

届いたか海堂?
伝えきれない想いが…一球に込めた、声に出来なかった言葉を

「ゲームカウント7-6」

練習不足だったわけじゃない、相手が強すぎたとかそんな理由じゃなく。
ただ、負けたのは…
球に込められた思いの差。

「強くなったな、海堂」

コートに中央に向かい、握手を交わす。

「まだっす」
「大丈夫だ、お前は…お前たちは強い」

声のトーンは変わらないけど、握られた手に力が込められる。

「俺たちがいなくても…」

大丈夫お前たちだけでもやっていける。
あの日、最後に伝えることが出来なかった言葉。
伝えなければと思いながらも、感傷から誰も声にすることが出来なかった言葉だった。

「ずっと言い忘れてたんだ」

乾の言葉にハッとしたように先輩たちを見る部員たちに、大石が苦笑交じりに口を開いた。

「全てを捨て去るのは寂しいんだよ」
「俺たちももうちょっと甘えてきたり、頼ってきて欲しかったんだにゃ」
「君たちが自分たちだけで頑張ってるのが誇らしくて、それでも寂しかったから…」
「もう俺たちが教えることは何もない」
「俺たちには俺たちらしい代を築いた…」

自分たちがいなくなった後のテニス部を危惧もして、そして信頼した。
それでも、簡単に忘れ去られてしまうのは寂しくて、あの日々を忘れることが出来なくて、一番大事なことを伝えていなかった。
それを伝えるために、彼らは乾の言葉に乗って、高校の部活を休んでここに来ていた。

「海堂、桃城、お前たちはお前たちの代を築いていけばいい」
「「はい」」

そして乾もまた、たった一人に渡したいものがあった。

「練習の邪魔して悪かったな」
「じゃあ、僕たちはこれで」

全試合を終えて、コートを後にする六人。
見送るように見つめる部員たち。
食い入るように見つめながら、何かを言いたげに口を開いては閉じる海堂。

「っせ…」
「海堂」

意を決した海堂が口を開いた瞬間、乾が振り返る。
振り返りざま、乾の手が宙へと何かを振り上げる。

「何…?」

それは綺麗に弧を描いて海堂の手元に落ちてきた。

「「「「「「誕生日おめでとう」」」」」」

それが海堂に手に落ちたと同時に発せられた六人の声。
けれども海堂にはその中の、たった一人の声しか聞こえてはいなかった。

「コレ…」
「プレゼント」

海堂の手にあるのは、さっきまで乾が着ていた青の青学レギュラージャージ。
夏に海堂が欲しくて焦がれていたもの。

「有難うございます」

深く一礼した海堂に、乾は軽く手を振ることで答えて仲間と一緒に懐かしい中学校を後にした。


部活終了後、今日の試合の余韻を引き摺りながらリラックスしながらも充実した練習をこなせたテニス部。
着替えの間も、終始、今日の試合の話で盛り上がっていて、中々、帰ろうとしない。
いつもなら無視して自主練に行く海堂が、イライラしながらその様を見つめていた。

「おい、海堂」
「ああ?」
「仕方ねぇから、部室の鍵は俺が閉めてやるよ」
「桃城?」
「どうせ、乾先輩待ってるんでしょ。早く行ってあげたらどうっすか?」
「ま、誕生日プレゼントってことで、無料報酬でやってやるからよ」
「……恩に着る」
「こんなことで恩に着られても迷惑だっての」
「乾先輩特製のケーキで我慢するっすよ」
「余ったらな」
「余らせるんだろ」
「余らせるんでしょ」

そんな海堂の様子に笑いながら桃城と越前が助け舟を出した。
二人の申し出を有難く受け入れた海堂は、早足で乾の家へと向かった。
何も言わなかった。
おめでとうの言葉もプレゼントも、確かに受け取ってはいるけど、きっと先輩は俺が来るのを待っている。
約束もしていないし、言われたわけじゃないけど、それだけは何故か確信できた。
だから、海堂は自主練を休んで乾の家へと続く道を全速力で駆け抜けていた。


ピンポ〜ン
肩で息をしながら、乾の家のチャイムを鳴らす。
そんなことはないと思いながらも、少しの不安が合鍵を使って中に入るのを戸惑わせている。
もしかしたら、もしかしたら、先輩は他の先輩たちと一緒にあの後、遊びに行っているかもしれない。
そういう不安が海堂に鍵を使わせなかった。

「薫?勝手に入ってきてよかったのに」

チャイムがなってすぐに中からドアが開けられる。
不安を吹き飛ばすように、そこには乾がいた。

「……」
「どうした?もしかして走ってきた?」

声も出せずに息を整えている海堂を見て、乾が不思議そうに訊ねる。

「…して…」
「え?」
「待って…る、気…が…」
「うん。待ってた」

はっきりと答えた乾に連れられて乾の家の中に入る。

「お湯沸かしてるから、お風呂に入っておいで」
「先輩は?」
「俺はもう入ったから」
「っす」

乾に背中を軽く押され、海堂は素直に浴室へと向かった。
ゆっくりと今日の疲れを落とすように湯に浸かる海堂。
疲れを取ってお風呂を上がれば、脱衣所には乾が用意してくれたらしく、乾の服が着替えの変わりに置かれていた。

「…先輩の匂い…」

その服に着替えれば、微かに鼻孔を擽る嗅ぎ慣れた匂い。
思わず呟いてしまった言葉に、海堂の頬が朱に染まる。
恥ずかしさから逃げるように海堂は自分の頬をペチペチと数回叩いてから、浴室を出て居間に向かう。

「有難うございました」
「ああ、ちゃんと温まるまで浸かってきたみたいだね」

海堂の声に振り向いた乾は海堂の体からホクホクと出てる湯気に目を細める。

「でも、ちゃんと髪は乾かす」

両手に持っていたお皿をテーブルに置いて、乾は海堂を連れてソファに座って海堂の肩にかけられたタオルを取って海堂の髪を拭いていった。

「すみません」
「心がこもってない」
「だって…」
「いいけどね、薫の髪触るの好きだし」

丁寧に髪の水分を拭き取って、乱れた髪を整える。

「さあ、お腹空いただろ」
「っす」
「飯、出来てるから」
「はい」

乾に手を引かれて、ダイニングへと向かう海堂。
ダイニングのテーブルにはさっきまで乾が両手に持っていた料理以外にもたくさんの海堂の好物ばかりが並んでいて、真ん中には大きなケーキが並んでいた。

「先輩…」
「改めて誕生日おめでとう。去年のようにはいかないけど」
「…こうやって一緒にいられるだけで…」

苦笑混じりの乾の言葉に海堂がフルフルと首を振る。
無理だと諦めていた。
自分も先輩も忙しいのだと、言い聞かせていた。
それでも、どこかで諦めきれない自分がいたのも確かった。
だから…

「凄く、嬉しい…」

そう言って、微かに笑った海堂の頭を乾は優しく撫でる。

「薫の誕生日に一緒に過ごさないわけないだろ」
「先輩」
「何があったって、薫の誕生日には薫と一緒にいるよ」
「はい、一緒にいてください」
「勿論。さあ、早く食べよう」
「はい」

乾の言葉にはっきりと頷いて、海堂も乾も椅子に座り二人っきりのささやかなパティーを始めた。


「改めて、誕生日おめでとう」
「有難うございます」

食事も終えた二人は片づけを済まして乾の部屋でゆっくりとくつろいでいた。

「あの…」
「ん?」
「あれ、本当に貰っていいんっすか?」
「あれって…レギュラージャージのこと?」
「っす」
「もしかして不満だった?」
「え?」
「いや、最初はさもっといいのを買おうと思ってったんだけどさ。あれを片付ける時に薫なんか言いたそうだったから…」
「気付いてたんっすか…」
「うん。追求したところで答えないだろうと思ってたから」
「スミマセン」
「いいよ。だからさ、高価なものをあげても嬉しくないだろうし、誕生日とかでもないのにあれをあげても貰ってくれないだろ」
「っす」
「お金が一つもかかってないんだけどね」

そう言って苦笑する乾に海堂はギュウっと抱きついた。

「お金なんて…」

心の底から欲しかったのは彼の人の物。

「不満なんかないっす。ずっと欲しかったんです」

学校が離れて、逢う時間が減って…
部活に学業へと忙殺される中、せめて先輩を近くに感じれるものが欲しかった。

「だから、凄く嬉しかったです。それに…」
「それに?」
「またああやって、先輩と試合出来て嬉しかった…」

負けてしまったのは悔しかったけど。

「そっか、それじゃ皆に協力してもらってよかったよ」
「協力?」

乾の言葉に海堂は不思議そうに乾を見上げる。

「今日の練習試合、あれ仕組んだのは俺なんだ」
「え?」
「俺が皆にお願いして、部活休んできてもらったんだ」
「何で?」
「気付いて欲しかったから」
「気付く?」
「うん、俺も薫もちゃんと同じ位置に立っているって」
「同じ」
「そう。薫は俺に劣るって思っているみたいだけど、とっくの昔に俺もお前も同じ場所に立ってるんだよ」
「先輩」
「まあ、薫だけじゃなくて、他の連中にしてもそうだから、こうして協力してもらったんだけど」

そして、その件に関しては連中も心残りにしていたから、快く引き受けてくれた。

「薫に関して言えば、テニスだけじゃなく、それ以外でも同じ場所に立っているって気付いて欲しかった」
「テニス以外?」
「うん。俺は薫とは支えあって生きていけると思ってる。どちらか一方が頼るのではなく、お互いに頼って頼られて、そんな風に過ごせると思ってる」
「本当っすか?」

頼りなさそうに訊ねてくる海堂の額にコツンと乾も額を押し当てる。

「本当。だからさ、遠慮せずに言いたいことは言って」
「はい」

その近さのおかげで、乾のメガネの奥の瞳がとても優しい光を称えているのに気付いて、海堂は嬉しそうにはにかむ。

「じゃあ先輩」
「何?」
「今日の試合の対戦相手は…?」
「ああ、あれね、俺が手塚と不二に頼んで薫と一緒にしてもらったの」
「そうだったんですか」
「もしかして、手塚や不二のほうがよかった?」
「違うっす」
「そう」
「そうっす。ただ、他の対戦相手が…」
「他?」
「っす。部長は越前と…」
「手塚と越前ですると思ってた?」
「っす」
「あれはね…」

今回の対戦相手の決め方…
少し時を遡ることになる。
大和を呼んで、事情を説明して許可を終えた後のことだった。

「でもさ、誰かが二試合でる必要があるよね?」

ダブルス二つにシングルス三つ、全部で七人必要な状態で、メンバーは六人。

「その前に、タカさんの許可を取らないと」
「それなら必要ない」
「もしかして、もう連絡してるの」
「その辺は抜かりないぞ」
「へぇ、乾ったら僕に黙ってタカさんに勝手に連絡とってたんだ?」
「黙ってって、別に許可のいるほどのことでもないだろう?」
「ふ〜ん、じゃあ乾は僕が海堂に連絡取ってもいいんだね」
「話が違うだろ。わかったよ、次からは不二に頼んで聞くようにする」
「わかればいんだよ」
「それはもしかして全員か?」
「やだな、大石。そんな当たり前のこと聞かないでよ」

大石の疑問に満面の笑みで答える不二。
大石の顔が顔面蒼白になっていたことに気付いていたのだろう。

「大石、河村に電話する時は気をつけろよ」
「大体、河村に連絡を取るのに、何故、不二の許可が必要なんだ?」

今にも倒れそうな大石を尻目に手塚が不可解な表情で不満そうに漏らす。

「何?手塚は不満なの?」
「当たり前だ。河村に用事があれば、直接、河村に逢いに行く」
「へぇ〜、そう」
「乾、手塚と不二をなんとかするにゃ」
「何で俺が…」
「俺は大石の看病があるにゃ。それに元は乾がタカさんに連絡取ってたのが問題にゃ」
「何でこんな目に合わされるんだ…」

ハァと大きく溜息を吐いて乾は冷戦に入っている二人の間に立った。

「いいから、話を戻すぞ」
「よくないと思うんだけど?」
「あのな、手塚が直接、河村に話を持っていくことはないだろ」
「…それもそうだね」
「どういう意味だ」
「お前の場合、何かあったら最初に俺か大石だろ?」
「ふむ」
「だから、河村に話が行く前に不二に届いてるから問題ないというわけだ」
「なるほど」
「じゃあ本題に入るぞ」
「僕、二回出ていいよ」

本題と乾が言った途端に、さっと言い切る不二。
切り替え早すぎ
と、思わずコケそうになる残りの面々。

「いいのか?」

気を取り直すようにメガネをクイッと上げて聞き返す乾。

「いいよ、その代り。越前君とね」

最後の言葉は手塚に向けて話す不二。

「わかった。では、俺が桃城の相手をしよう」
「手塚?」
「どうした?」
「いいのか?」
「いいのかって、お前は海堂と試合するために、わざわざこんな手の込んだ真似をしたのではないのか?」
「そうなんだけど」
「それぐらいお見通しだってば」
「不二」
「全試合勝つぞ」
「ああ」
「勿論」

少し長くなってしまったが、回想はここで終った。

「というわけだよ」

戻って、乾の部屋。

「そうだったんっすね」
「そ、だから他のメンバーに関してもそこまで深い理由はないんだ。俺たちは試合出来ればそれでよかったから」
「先輩。俺、これからずっと先輩のジャージ着ます」

大事な試合の時、去年のように隣にいてくれなくても大丈夫なように。

「一人で立てるように」
「それも寂しいな」
「先輩?」
「代わりに満足せずに、本物にもこまめに逢ってくれないと寂しいな」
「……逢いにきます」
「うん」
「先輩が待っていてくれる限り」
「それじゃ一生だ。でも、その前に俺が我慢できなくなるかも」
「その時は逢いに来てください」
「そうだな」

二人で顔を見合わせて幸せそうに笑い合う。

「先輩、俺たくさん先輩に話したいことがあるんです」
「うん、俺も聞きたい」

先輩が引退してから、卒業してから、ずっと思ってたこと。
先輩のいない部活・校舎。
一人の帰り道。
先輩がいなくなってから気付いた沢山のこと。
ずっと我慢していた弱音も我儘も、全部話そう。
誕生日という免罪符に頼って。
そして、それ以上に伝えたい気持ち。
たった一つの最上級の好きの気持ちを……


あなたに伝えたい
零唄-Love Song-

Fin