降り止まぬ、雨  六月 雨 相愛



雨が、降る…
止むことを知らずに、降り続ける。
初めは、小さな雫がポタリ、ポタリと染みを作り、次第に、波紋を呼ぶようになる。
波紋は広がり、雨は激しさを増し、染みは大きな湖となり…
そして、今は…
雨は嵐となり吹き荒れ、湖は海へと変わり、溢れ始める。
溢れだしたものは、一つのとこに向って流れ出す。
そう、あの人の元に…


6月は嫌いだ。
梅雨が来て、雨が降り続ける。
雨が降れば、自然とテニスが出来なくなるから。
そして、唯一の接点となったテニスが出来ないと、あの人に逢えないから。
だから、雨は嫌い。


今日も、天気は曇り後、雨。
今は、空がグレイに覆われている。
それでも、まだ降ってはいないから、母さんに止められたのも聞かずに、俺はランニングに出かけた。
ランニングも半分を終え、折り返し地点にあたる公園で一休みする。

「げっ…」

芝生に足を投げ出して、休憩していると、顔に当たる雫。
ヤバイと、そう思って走り出したが、降り始めた雨は、一気に雨脚を強め、すぐに俺はビショ濡れになった。
取り合えず、目に入った軒のあるバス停に滑り込む。
どんどんと激しくなる雨に、どうしようかと思い悩んでいると

「あれ、海堂?」

と、良く知った声が耳を打つ。

「乾、先輩?」

驚いたように顔を上げれば、そこにはバスを降りたばっかりの先輩がいた。

「こんな日に、トレーニング?」

先輩は、俺の姿を見て、少し眉根を寄せて聞いてくる。

「ランニングだけでもって、思って…、まだ降ってなかったし」

先輩の雰囲気から察すると、どうやら怒っているらしく、俺はボソボソと聞こえるかどうかくらいの声で呟いた。

「降ってなくても、降るのがわかっていていったなら、同じだろ」

けど、先輩に俺の声はちゃんと聞こえたらしく、溜息混じりに言い切られてしまった。

「風邪、引いたらどうすんの?」

先輩の説教の仕方というのは、頭ごなしに怒るのではなく、相手に自分のしたことを理解させたうえで反省させようと、言い聞かせるもの。
今も、こうやって言われたら、俺に言い返す言葉などなく

「…スンマセンした」

と、謝るしかない。
けれど、確かに風邪を引くかもしれない。
先輩からしたら、馬鹿な真似をと思うかもしれないけど、俺は必死なんだ。
早く先輩に近づきたくて、見て欲しくて。
それに、不謹慎かもしれないけど、こうしてランニングをしたおかげで先輩に逢えたから、そんなに悪くないかなって、そう思う。

「ともかく、そのままじゃ風邪を引くから」

溜息を吐いて、先輩が持っていた傘をさす。

「ほら、海堂」

じっと見つめていた俺を傘の中に入れて、先輩が俺の肩に腕を回して歩き出す。

「せ、先輩?」

驚いた俺が、声をあげれば

「俺ん家、すぐそこだから。風呂入っていきなさい」

と、冷えた頬を指で擽られる。

「でも…」
「いいね」

遠慮がちに俺が声をかければ、先輩に反論は許さないとばかりに言い切られてしまう。

「はい」

先輩に肩を抱かれ、同じ傘の中、いつも以上に近い距離で言われたら、俺は素直に答えることしか出来なくて、図らずとも、初めて先輩の家にお邪魔できる事実に嬉しかった。


先輩の家は、マンションの最上階にあった。

「入れよ」
「お邪魔します」

先輩の家の玄関で、先輩が持ってきてくれたタオルで頭を拭きながら、お邪魔する。

「風呂、沸いてるから」

そのまま、俺は先輩の言葉で風呂に直行する。
言われるままに風呂に入って、ゆったりと浸かっていると、先輩がタオルと着替えを置いていく。
体が芯までぬくもるまで入らせてもらって、上がる。
先輩が置いていった着替えに袖を通す。
先輩の服は、やっぱりサイズが大きくて、微かに先輩の匂いがして、何だか先輩に包まれているみたいで照れくさかった。

「有難うございました」

タオルを肩にかけて、先輩の部屋にお邪魔する。
先輩はデータの整理をしていたのか、パソコンに向っていた。

「ちゃんと、ぬくもった?」
「っす」

俺の声に気づいた先輩は、パソコンの電源を切って、俺に向き直る。

「髪はちゃんと拭く」

ポタリ、ポタリと服に染みを作っていく雫に、先輩の眉が寄る。
俺の前に来て、肩にかかるタオルを取って、俺の頭を拭き始める。

「ぬくもった意味がなくなるだろ」

少し乱雑に拭かれて、先輩の手が離れる。
髪を滑る温もりが離れ、感じた寒さにブルッと体を震わせる。

「飲み物、取ってくるから」

座ってろ。
そう言って、部屋を出ようとする乾先輩に、どうしてだか、俺は咄嗟に彼の手を掴んだ。

「…海堂?」

びっくりしたような先輩。
声もちょっとだけ戸惑っている。

「え…っと…」

けど、驚いたのは俺も同じで、自分のしたことが信じられなくて、手を掴んだものの、何がしたいのかわからなくて、どうしていいのかわからずに、先輩の手を掴んだまま、彼の眼鏡越しの見えない瞳を見つめていた。

「せんぱ…」

しばらく二人とも黙っていたが、その沈黙に耐えられそうになくて、俺が口を開く。

「俺さ…」

先輩…そう言おうとした声は、最後の文字を声に出す前に、先輩の声にかき消された。
もう、先輩にはさっきまでの動揺はなくて、声はいつもの感情のこもらない淡々としたものに戻っていた。

「今日さ、誕生日なんだよね」

いつもと変わらぬ口調で、ありのままの事実だけを述べるから、俺はもう少しで大事なことを聞き逃すとこだった。

「…え?」
「6月3日、俺の誕生日」

思わず聞き返す俺に、先輩はご丁寧に日付まで教えてくれる。

「…た…誕生日、おめでとうございます」

今度は聞き逃すことなく、脳に届いた言葉。
俺は頭が理解したと同時に、頭を下げていた。

「有難う」

先輩の声が、頭上から響いてくる。
その声は、どこか楽しげで、噛み殺した笑みが混じっていた。

「…俺…スンマセン…、プレゼント、用意してない…」

先月の自分の誕生日に、彼から貰ったキスと、一日遅れて貰ったバンダナ。
それがとても嬉しくて、俺も先輩に何か返せたらと思って、先輩の誕生日をどうにかして聞きだそうと考えていたのに、聞いたのはその当日。
申し訳なくて、下を向いた俺に、先輩の声が降りかかる。

「そりゃそうでしょ。海堂、俺の誕生日知らなかったんだしさ」
「でも、先輩は俺にくれた」

同じなんだ。
あの日と同じ。
先輩だって、俺の誕生日を知ったのは当日。
それなのに、あんなに嬉しいプレゼントをくれた。
けれど、俺は何もあげられない。
俺の中に、先輩の喜ぶようなものは何もないから。

「じゃあさ、海堂」

沈む俺に、先輩が声をかける。

「一つだけ、俺の質問に正直に答えて」
「何っすか?」

肯定の代わりに、次を促す言葉を返す。

「海堂は、俺のこと、どう思ってる?」

真っ直ぐに、俺を見つめて問う声。

「俺は…」

逃げることを許されずに、絡まった視線。

「うん」

戸惑いながら声を出せば、先輩の優しい声音に続きを促される。

「…あなたが、好き…」

絡まり続ける視線が、誤魔化すことを許してはくれず、俺は一生言うことはないと思っていた想いを、先輩に告げた。

「有難う」

先輩の手が先輩の眼鏡にかかる。
眼鏡が外れ、初めて逢った日に見た瞳が曝される。

「好きだよ」

優しく細められた瞳。
気が付けば、間近で見つめられていて、咄嗟に瞑った瞼の上に一つ、そして、唇に一つ、口吻が落とされた。
ゆったりと重ねられて、角度を変えて口吻は続けられる。
先輩の左手が、俺の右手を握り締める。
握られた手のひらから、触れ合った唇から、お互いの想いを伝えあう。
言葉だけでは足りない、溢れる想いを。

「有難う」

唇が離れて、先輩がまた礼を言う。

「礼を言われるようなこと、してないっす」

本日三度目になる、有難うに、軽く頭を振る。

「好き、って言ってくれたでしょ」

それが最高のプレゼント。

「だから、有難う」

嬉しそうに微笑まれて、俺の顔が熱くなる。
絶対に赤くなってるって、自分でもわかっているから、隠すように俯く。

「…有難うございます」
「え?」

これだけは伝えないとと思って、顔を隠したまま、口を開く。

「好きって、言ってくれた」

好きだと告げた俺に、自分も好きだと応えてくれた。
自分では抑えきれなくなってきた想いを、伝える機会を与えてくれた、応えてくれた、それが、とても嬉しかった。
零れ続ける雫を受け止めてくれるあなたに、心からの有難うを伝えたかった。

「海堂」

伝え終えた俺に、先輩の腕が伸びる。
強く抱きしめられて、その腕の心地よさに、俺の手も、先輩の背中にまわる。
先輩の胸に顔を埋めると、先輩の唇が俺の髪を擽る。
二人とも、しばらく黙ってお互いの体温を感じていた。

「あっ」

先輩の唇が髪から離れていったなと思ったと同時くらいに、先輩が小さな声をあげる。

「海堂」

名前を呼ばれ、促すように頭をトンと叩かれる。

「ほら、見てみろよ」

言われて移した視線の先。

「…虹」

先輩の部屋の窓の向こうは、雨が止み、虹が姿を見せていた。

「ラッキーだったよな」

虹が消えるまで、外を見続けて、消えた後、ポツッと先輩が漏らした一言。

「そうっすね」

滅多に見られない虹を、先輩と二人で見れて、ラッキーだったと思う。

「まだ、いるだろう?」

問いかけよりも、確認に近い声が耳をうつ。
雨は止んだから、もういつでも帰ることが出来るけど…

「…はい」

まだ、もう少しだけ、この幸せを噛締めていたい。

「先輩が望むまで…」

後ろから抱きしめられて、前にまわった腕に、手を重ねる。

「それじゃ、帰れないぞ?」

苦笑混じりに、耳元で囁く先輩。

「…帰れなくてもいい…」

先輩に体を預けて、凭れかかりながら呟く。

「好きだよ」

聞こえた言葉と、落ちてきた唇を、俺は黙って受け止めた。


雨が、降る…
優しい雨が…
溢れても、還ることの出来る雨が…


雨は嫌い
大好きなテニスと、あの人に逢えないから…
けれど、
雨がくれた偶然の幸せは忘れないから
雨を見るたびに、思い出すから
今は、少しだけ好き。


あの人の生まれた月に、降る雨は…

Fin