ある時、一匹の子狼がいました。
彼は、好奇心旺盛でついつい、行ってはいけない人里の近くまで行ってしまい、人間のかけた罠にかかってしまいました。
彼はその時、死を覚悟していました。
もう無理だな…
足に食い込んだ鉄により、足からは紅の血が流れ、彼の意識も少しずつ薄れていっていたのです。
「大丈夫かい?」
薄れてゆく意識の中、声が聞こえた気がした子狼は瞳を何とか開きました。
「今、助けてあげるから、しっかりしてね」
子狼の目の前には、2匹のウサギの夫婦が罠を両端から持って引っ張っていました。
「どうして…、俺はあなたたちの敵なのに…」
子狼は不思議でなりませんでした。
草食動物であり、肉食動物の自分たちや人間に食べられてしまいかねない、ウサギが自分を助けようとしていることが。
「君はまだ子供だ」
勿論、子供だから自分での狩の能力がないなどとは、そのウサギとて思ってはいません。
それでも
「私たちと君たちの種族の違いがどうであれ、子供を助けないほどひどいつもりはないよ」
「私たちにもね、もうすぐ子供が生まれるのよ。この子に恥じるような行いわしたくないわ」
「困ってるのものを助ける。それは当たり前のことではないかな?」
「あ、有難う…ございます…」
「ほら、君も引っ張って」
「は、はい」
その子狼を手伝って、何とか彼の足からその罠を取り外すことが出来ました。
「今はコレしかないけど我慢してね」
ウサギの奥さんが、子狼の怪我した足の血の出てる真上にハンカチを巻いて止血しました。
「アナタ、お名前は?」
「俺はサダハルです」
「そう。サダハル君、その足じゃ動けないでしょ。しばらくうちにいらっしゃいな」
ウサギの奥さんはその子狼…サダハルに優しく笑いかけます。
「え…でも、迷惑ですし…」
「子供がそんなことを気にしちゃいけない」
「そうよ。治るまでうちにいていいのよ」
少々、強引なウサギの夫婦に押し切られ、サダハルは足が治るまでこのウサギの夫婦の家にお邪魔することになりました。
「お世話になりました」
そして、日々は過ぎ、サダハルの足は完治して、今日、サダハルはこの夫婦の家を出て行くことになりました。
「もう、行っちゃうのね」
「ずっと、いてもいいんだよ?」
ウサギの夫婦は寂しそうに話しかけます。
「有難うございます。でも、俺、アナタたちに助けてもらって、同じように俺も誰かを…種族の隔たりなく助けて行こうと思ったんです」
優しい夫婦に、サダハルも寂しそうに笑いかけます。
決めたこととは言え、サダハルもこの暖かい家を出るのは寂しいのです。
「こんな俺でも誰かを救うことが出来るなら…」
「大丈夫。アナタなら出来るわ」
「頑張りなさい、私たちは応援してるよ」
「はい」
「また、遊びにきなさい」
「この子のお兄ちゃんになって頂戴ね」
ウサギの奥さんの腕には、つい先日、生まれたばかりのウサギの赤ちゃんがいました。
「そうだ、サダハル君がこの子の名前をつけて」
「それはいい考えだ、是非、頼むよ」
夫婦の申し出に、サダハルは困ったように笑いました。
優しいウサギの夫婦は、案外、頑固で一度決めたことは変えないからです。
サダハルは考えるように空を仰ぎました。
サダハル目に飛び込んできたのは、森の木々。
青い空。
木々がざわめき、一陣の風が吹き抜けていく様を、サダハルは感じました。
「 」
「いい名前ね」
強い風が吹き、サダハルの声はかき消されましたが、奥さんの耳にはちゃんと届いたようでした。
「じゃあ、俺はこれで」
「ええ。行ってらっしゃい」
「いつでも戻っておいで」
決してサヨナラと言わずに、行ってらっしゃいと告げてくれるウサギの夫婦。
その心遣いが嬉しくて、不覚にもサダハルは泣いてしまいそうになりました。
無理やり、涙を押し隠して、彼は笑って旅立っていきました。
風が運んだ、森の緑・咲き誇る花の香り。
「あの人たちの優しさと、強さが君に受け継がれていることを願うよ」
この森に愛される子供になるように…
そう願って、サダハルは赤ちゃんウサギに名前をつけたのです。
この時から、子狼は一つの誓いを心に決めました。
絶対にウサギだけは食べない。出来る限り、彼らと同じものを食べようと。
時はたち、サダハルは立派な狼に成長しました。
サダハルはその誓いにそって、力なき小動物たちを助け、森の奥の綺麗な泉の近くで、彼らとともに住み、彼らを守っています。
今日も、彼は見回りに行きます。
「ふぅっ…っく…ひっ…」
見回り中のサダハルの耳に、微かな泣き声が聞こえます。
「どうしたの?」
声のほうへ向った狼。そこには一匹のウサギが泣いていました。
そっとウサギに近づいて声をかける狼。
「ひぃっく……と、父さんと……母さんが……」
ウサギはよっぽどショックが強いのか、狼であるサダハルを見ても恐がりません。
「お父さんと、お母さん?」
「ふっ…ん…人間が…きて…」
泣きじゃくるウサギの下、地面についている紅の痕跡。
サダハルはそれを見て、理解しました。
このウサギの両親は人間に撃たれ、連れていかれたのです。
「俺…そっから出ちゃダメって言われて…」
「そっか、君はちゃんと言いつけを守ったんだね」
泣き続けるウサギを抱き締めて、優しく背中を撫でてあげます。
「俺…おっれ…」
「偉かったね。本当は助けに行きたかったのに、我慢したんだよね」
「うえっ…え…え―――――んっ」
「辛かったね、恐かったね」
ウサギはサダハルの胸に顔を埋め、泣きじゃくります。
サダハルはしゃがみこみ、ウサギが安心泣けるように態勢を整えてあげて、泣き止むまで、優しく声をかけてあやしてあげました。
「…ぅぇ…っく…ご…ごめん…なさい……」
落ち着いたのかウサギが少ししゃくりあげながらも顔をあげます。
「何が?」
真っ赤になって、涙の跡が残る目や頬をサダハルは優しく舐めて拭きながら、問いかけました。
「涙でグシャグシャ…」
「いいよ」
優しく微笑んで、サダハルは安心させるように髪を撫でてあげました。
「…ど…どうしよう…」
サダハルのおかげで、少しホッとしたのかようやくはにかむ程度に笑ったウサギが、また、何かを思い出したように沈んだ表情になってしまいました。
「ん?何が?」
「お、俺…一人になっちゃった…」
ウサギは両親の喪失の悲しみに不安。
突然襲ってきた、孤独にどうすることもできず、また泣きそうになります。
「俺がいるよ」
狼はとっても優しい声で、ウサギに声をかけます。
「俺が一緒にいるから、一人じゃないよ」
「ほんと…?」
ウサギは不思議そうに、不安に揺れる目でサダハルを見つめます。
「うん、俺と一緒に暮らそう。俺はウサギは絶対に食べないから」
「ずっと、傍にいてくれる?」
「いるよ。ずっと一緒にいようね」
「約束…」
「約束だよ」
サダハルの約束に、ウサギは嬉しそうに微笑みました。
「俺はサダハルって言うんだ、君は」
「カオル」
そうして、狼のサダハルとウサギのカオルの二匹は一緒に暮らし始めることになりました。
個性溢れる住人たちが暮らす、泉の楽園で。
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