Key



部の練習のない日は、前日から乾の家に泊まることの多い海堂。
その日も、いつもと同じように泊まりにきていた。
乾が夕食を作るのを手伝ったり、一緒にお風呂に入ったりと、甘い一夜を過ごしていた。
明け方、海堂は微かな物音に目を覚ます。
むくっと起き上がり、眠い目をこすりながら横で寝ている乾を見る。
寝てるよなぁ…
乾の家にいるのは、海堂と乾の二人だけで、他は誰もいなかった。
乾が横で寝ていることを確認した海堂は、とりあえず床に落ちている乾のパジャマの上を着てしばらくジッと耳を澄ます。
しばらくその状態でいたが、物音一つしなかったので気のせいかと思い直し、布団の中に潜り込む。
もそもそと位置を確保していたら、海堂の腰に乾の片手がまわる。

「どうかした?」

まだ寝ぼけた声で、乾が聞いてくる。
海堂がおきた気配で目が覚めたらしい。

「…何でもないっす」

乾に背を向けた状態だったので、向かい合う形に寝返りをうって答える。

「ほんとに?」

海堂の額に自分の額をコツンと合わせて、海堂の顔を覗き込む。
裸眼の状態だと、それくらい近づけないことには相手の表情がわからないために、海堂の顔に自分の顔を近づける。
海堂は突然、すぐ近くにきた乾の顔を正面からまともに見て、はんなりと頬を染める。

「…音が聞こえただけっすから」

恥ずかしさに視線を逸らして、乾の首筋に目を遣りながら答える。

「音?」
「たぶん、気のせいだと思うんすけど…」

だから、何でもないと乾を見る。
乾はしばらく海堂の様子を見ながら、何事か考えていたが、

「そっか。じゃあ、まだ起きるには早いし寝ようか」

海堂の頭のしたあたりに腕を入れて、そのまま抱き寄せる。

「はい」

乾の行動に、海堂も寝やすいように乾の肩口を枕にして首筋に顔を埋める。
そのまま、二人で眠りにつこうした時、
カタン
と、向こうのほうで音がする。
その音に、怯えたように海堂が反応する。

「音…聞こえましたよね」

怖々と扉に目を向けながら聞いてくる海堂に、乾は優しく背中を摩って落ち着かせる。

「大丈夫だよ」

緊張に張り詰めた体が弛緩したのを見て、乾は起き上がりパジャマのズボンをはく。

「先輩…?」

ベッドをおり、部屋を出て行こうとする乾に海堂が声をかける。

「見てくるよ」

起き上がり、不安そうに見上げてくる海堂を安心させるように頬に口付ける。

「薫は、このまま寝てていいから」

そう告げて、乾は部屋から出て行こうとしたが、海堂に腕を捕まえられる。

「…俺もいく…」

一人でいるよりも一緒にいったほうがいいと判断したらしく、海堂も起き上がり乾の後についていく。
しっかりと、乾のズボンの上のほうを握って。
二人が部屋を出ると、リビングのほうに明かりがついていて、それをみた乾が「やっぱり…」と呟いて、歩き出す。

「…?」

乾の言葉に、海堂が不思議そうに顔を傾ける。

「…予想はついてたんだけどな」

海堂の姿に微笑を浮かべて、乾が呟く。
リビングの前に来て、乾は何ともないようにドアを開くが、海堂は緊張に体を固くする。

「邪魔してるぞ」

海堂がためらうように中に入ると、中から聞きなれた声が聞こえた。

「こんな時間に来るってことは、夜釣りに行ってたのか?」
「そうだ」
「釣れた?」
「あぁ」
「……手塚先輩…?…」

乾が中にいる人物と普通に話しているのを聞きながら、半ば呆然とした声で海堂が中にいる人物・手塚の名を呼ぶ。
海堂の声に手塚が海堂を見る。

「海堂か?」
「泊まりに来てたんだよ」

呆然と手塚を見る海堂の代わりに、乾が答える。

「そうか…邪魔したようだな」
「そうでもないよ」

寝てただけだし。
とは、心の中の乾の声だ。

「まだ、寝たいんだけど、手塚はどうする?」

寝たのが遅かったので、まだ寝ていたい乾が手塚に問う。

「一息ついたら寝るつもりだが…」

ソファに座り湯飲みを両手に持ちながら、手塚が答える。

「後、風呂を借りるぞ」
「あぁ。服はお前の部屋に置いてるから」
「わかった」

お前の部屋…?
普通に会話をしている二人に、正気に戻った海堂がふと疑問を浮かべる。
何で、乾先輩の家に、手塚先輩の部屋があるんだ?
そう不思議に思うのだが、とうの二人は普通に話していて、不思議に思うほうがおかしいのではないかという気になってきてしまい、海堂はその疑問を声に出すことは出来なかった。

「魚は冷蔵庫に入れといてくれたら、起きてから捌くし」
「悪いな」
「構わんよ。俺もおすそわけしてもらってるし。家にも持って帰るんだろ?」
「そのつもりだ」

手塚の母親は、魚を捌くのは苦手らしく、手塚が魚を釣ると、一度、乾の家に行くか、乾に家に来てもらって捌いてもらっていた。

「じゃあ、後でな」
「お休み」
「お休み」

本格的に眠くなってきたらしく、乾は海堂を連れて部屋に帰ろうとする。
海堂は焦りながらも、手塚に「お休みなさい」と挨拶をして、乾の後に続いた。
部屋に戻った乾は、さっさとベッドに入り寝ようとする。
海堂は、同じようにベッドに入るが、眠ろうとはせずに、ジッと乾を見つめる。

「どうした?」

その視線に気づいた乾が海堂に声をかける。

「…手塚先輩…」

しばらく口籠っていた後、ポツリと海堂が手塚の名を告げる。

「手塚が何?」

どこかいいにくそうに口を開く海堂に、乾が優しい口調で声をかける。

「…どうやって入ったんですか?」

素朴な疑問だった。
いくらなんでも乾が鍵をかけ忘れたということはないだろうし、キチンとかけていたのも覚えてる。
じゃあ、どうやって手塚は入ってきたのだろうか?
それに、手塚先輩が家にいることに乾先輩は少しも驚かなかったし、どうも物音が手塚先輩が発信源だということにも気づいていたみたいだし。
ずっと気になってたけど、普通に話してる二人に気が引けて聞くことも出来なかったけど、気になるものは気になるし、どうも聞かないことには眠れそうにないので、思い切って聞いてみることにしたのだ。

「手塚、うちの鍵持ってるから」

何でもないことのように言う乾の言葉に、海堂は胸がキューッと苦しくなった。

「合鍵…っすか…」

胸を手で押さえて、重い溜息を吐きながら聞く。
俺、貰ってないのに…
何で手塚先輩は貰ってるの……

「そう」
「先輩があげたんすか?」
「そうだけど…?」

海堂からの質問に乾は困惑したように答えていく。
何でこんなことを聞いてくるんだ?と彼の目は訴えていたけど、海堂は乾から視線を逸らすことで逃げていた。
みっともないとは思う。
手塚先輩にやきもちをやくなんて。
二人が仲がいいとういうことも知ってたし、親友だってこともわかってる。
だからって、合鍵まで渡さなくても……
それも、手塚先輩からじゃなくて、乾先輩からだなんて……
自分の思考に、海堂は泣きたくなった。
なんて自分は情けないんだろうと。

「海堂…?」

眦に溜まる涙に気づいた乾が、困惑したような声で呼ぶ。

「先輩の家に、手塚先輩の部屋もあるんですか?」

乾の声を無視して、海堂は更に質問する。

「えっ?…あぁ、手塚の部屋っていうか、客間の一つが手塚専用になってるだけだけどね」
「服も手塚先輩の置いてるんすね…」
「一々、持ってくるのも面倒だからな」

海堂の言葉に律儀に答える乾。
あまりにも慣れすぎていて当たり前になっていることだったので、海堂が何を言いたいのかをさっぱり理解していなかった。

「もしかして、食器とかも…?」
「手塚の?あるよ」

あっさりと答える乾に、海堂はとうとう溜めていた涙を零す。
もう涙を抑えることなんて出来なかった。
この家のどこにでも、手塚先輩のものがあるなんて……
自分のものなんて、何もないのに……
鍵も貰えない。
服も、食器も、専用の部屋も…
この家のどこにも俺のものはないのに……
これじゃ、どっちがこの人の恋人かわからないじゃないか……
ただでさえ、いつも話さなくてもわかりあってるような二人で、いつもそれが羨ましくて、そんな二人を見ると胸が痛くなるのに。
こんな、こんなに一杯……

「海堂っ!!」

突然、ポロポロと涙を流し始める海堂に驚いた乾は、眠気もふっとんでガバッと起きだし、海堂も同じように起こし、座らせる。

「ふっ…ぇ…うぅ…く…」

子供のように嗚咽をあげて泣きじゃくる海堂に、乾は戸惑った表情で抱きしめる。
海堂が泣き止むまで、乾は何も言わずに背中を優しく摩ってやる。

「…スミマセン…」

しばらくして、ようやく泣き止んだ海堂が、恥ずかしそうに俯きながら謝る。

「俺、何かしたか?」

海堂の顔を上向かせて、眦に残る涙を親指の腹で拭いながら問いかける。

「…何も」

首を横に振って、海堂は否定する。

「じゃあ、何で薫は泣いてたの?」
「何でもない…」

じっと視線をあわせてくる乾から逃れるように視線を逸らし、呟く。
けれど、それで乾が納得するはずがなくて、

「何でもなくないだろ」

海堂の両頬を両手で包み込んで、正面に顔を持ってくる。
触れ合いそうなほど近くに、顔を近づけ、視線を逸らせないように見つめる。

「俺が、泣かしたんだろ?」
「違う…」

乾の言葉に、海堂が弱々しい声を出す。

「薫」

乾が海堂を呼ぶ。
その声は、いつもより低く、有無を言わさないような響きのある声で、海堂はビクッと背中を揺らす。

「……で……ばっか…」

こもった声で、海堂が呟く。

「何?」

完全には聞き取れなかったので、乾は聞き返す。

「何で、手塚先輩ばっかり……」

今度は、乾にも聞き取りやすい声で話す。

「手塚?」

手塚の名前が出てきて、乾は訝しげに問いかける。

「合鍵もってるし…、部屋だって、服も、食器も…」

何となく悔しそうな口調で海堂が言うのに、乾はようやく海堂の言いたいことを理解する。

「もしかして、やいてる?」

海堂の耳元に唇を寄せて囁く言葉に、海堂の口がムッとへの字になる。
その表情を見て、乾は自然と笑みを零す。

「別に、やくような理由じゃないんだよ」
「……」

乾の言葉に、海堂は思いっきり疑わしそうな視線を投げかける。

「合鍵を渡したのはさ、あいつ朝が早いからだし…」

手塚は常に、規則正しい生活を送る。
それは、休みの日でも変わることはなく、夜遅くまで起きているのは夜釣りに行ったときだけで、後は常と変わらぬ生活を送っている。
それに対して、乾の生活はむちゃくちゃだった。
学校がある時でも、平気で夜更かし、下手をすれば徹夜もする。
なので乾は、休日は昼過ぎまで寝てることが常だった。
そんな二人が友人をしているのだから、生活リズムが違うのは明らかで、手塚が遊びにきたとき、まだ乾は夢の中なんてものが当たり前だった。

「来るたびに、起こされるのもな…」

苦笑しながら乾が説明する。
手塚の祖父は警察で柔道を教えてる、厳格な人だった。
手塚が朝から家にいると、彼は決まって手塚に柔道の相手をさせる。それも、朝早くから……
いつもいつも、流石に相手はしてられないので、手塚は祖父がそれを言い出す前に乾の家に避難してたのだ。
そして、その都度、起こされるのは乾で、いい加減、寝かせて欲しいと思ったので、乾は手塚に合鍵を渡したのだ。
家に上がらせれば、手塚はいつも一人で適当に本を読んだりしているので、自分が起きて相手をしてやる必要も乾にはなかったためだ。

「俺は寝てるから、勝手に入ってきてくれ」

そう言って、鍵を渡したのは、確かに乾だったが、海堂がやきもちをやくような事ではなく、ただ単に自分が寝ていたかったからなのだ。

「あいつのものがあるのも、そういう理由に基づくものと、後、幼馴染みだからだろ」

幼稚園の頃から一緒で、互いの家を行き来してるので、自然と互いの家に、お互いのものがあるのだと説明する。

「でも…」

乾の言葉に、納得した海堂だったが、それでも心に残るわだかまりは消えずに、つい声を漏らしてしまう。

「合鍵欲しい?」

まだ不機嫌そうな恋人に、乾は尋ねる。
すると、海堂はしばらく考えるように目線をさ迷わせた後、コクンと小さく頷く。
俺だって、手塚先輩ほどじゃないかもしれないけど、それなりに朝は早いし……
泊まってない休みの日だって、早く逢いたいと思うけど、先輩が寝てるだろうと思って行けないから。
鍵があったら、もうちょっとだけ気兼ねなく、先輩の家に遊びにいけそうだ。
寝てるのを邪魔せずに、先輩が起きるのを待っている。
そんな時間を想像して、海堂はクスッと笑みを零す。
きっと楽しいだろうなと思う。
先輩のために朝ごはんを作って、起きてきた先輩を驚かして……
そんな風に待っているなら、きっと待つことも苦じゃないから。
上目遣いに乾の言葉を海堂は待つ。
乾は、そんな海堂の様子にハァと溜息をつく。

「でもな、海堂が来てるのに気づかずに寝てるってのもな…」

すごく、時間を無駄にしてる気がする。

「でも、鍵なかったら来ませんよ。起こすの悪いし…」
「わかってるよ」

だから、困ってる。
鍵を渡したら、今まで以上には来てくれるだろうけど、海堂が来てることも気づかずに自分が寝てるっていうのもやな感じだし。

「来たら。俺のこと起こしてくれる?」
「それじゃ、合鍵貰ういみないでしょ」

乾の言葉に、海堂は呆れたように溜息を吐く。

「じゃあ、あげない。起こしていいから、ピンポン鳴らして」
「それなら、行かない」
「うっ…」

海堂の台詞に、乾は言葉に詰まる。
寝てるときに来られるのは寂しい。
でも、来てくれないのはもっと寂しいし……
葛藤する頭をフル回転させて、とうとう根負けしたように

「わかった、起きたら作りに行こうな」

と、海堂に言った。

「はい」

嬉しそうに頷く海堂に、乾は苦笑いを零す。
結局、逢えないよりは逢えるほうがいいのは、自分も同じだから。
けれど、
寝不足になりそうだな。
休みの度に、海堂が来そうな時間帯になったら起きそうな自分に乾は気づいていた。
起きそうっていうか、絶対に起きてるだろ。
何となく、そわそわと眠いくせに起きて待ってそうな自分を想像してみる。
それが確実にくる未来にしか思えずに……

「…俺も規則正しい生活をするかな…」

そう呟いてみるけど、絶対に出来るわけがないことは百も承知で、
結局、自分は夜型で、頑張ったところで今更、この生活態度を替えれるわけもなく、
朝の早い親友と恋人を持った、自分の運命なんだろうと諦めにも似た気持ちで、腹を括る。
これからいかにして、どこで寝る時間を確保するかと思考を巡らせながら、早く寝ようと急かしてくる海堂と共にベッドへと潜り込んだ。


朝の早い人間と、朝の遅い人間。
得するのはどっち?

Fin