幸せになりたいのは、誰でも同じ
何処にも、幸せになりたくないものなどいないだろう
ただ、人はそれぞれに幸せの方法が違うから
皆、それぞれの幸せの在処を見つけ出す必要がある
そう、それは
俺たちにも言えること……
それは、あの日からずっと覚悟していたことで、そして何よりも望んではいない言葉だった。
その日、手塚はいつものように乾の家に来ていた。
正確には、前日より泊まりに来ていたのだ。
いつものように乾の作る料理を食べ、今日はやけに甘えてくるので、一緒に風呂に入って、そのまま乾を組み敷いた。
そして、朝。
眠る乾の頭を膝に置いて、癖の強い髪を触って、手触りを楽しんでいた時、
「手塚って、海堂には寛容だよな」
眠っていると思っていた乾が、おもむろに口を開く。
手塚が視線を乾に向けると、素顔の彼の瞳は面白そうに眇められていた。
「お前が気に入ってるからだ」
「だから、俺は寛容だって言ったんだよ」
手塚の答えに、乾はさも面白そうな声で話す。
「お前、俺が関わるとろくな事をしないだろう?」
手塚って、嫉妬深いもんな〜
おちゃらけたように話す乾に、手塚は眉間に皺を刻む。
「…何が言いたい」
この台詞は、本当は言うべき言葉じゃなかった。
自分の想いを考えると、それは口にしてはいけない言葉だった。
それを言ってしまったのは、わかっていてもそれを言わざるを得ない状況に追い込んだ乾が上手だったのか、
それとも、それでも彼の望みを叶えてしまうことを選ぶ、自分がそれほどこの男を愛していたからだろうか。
「…俺は海堂が欲しい」
さっきまでと違い、そう声にした乾は真摯な瞳で手塚を見ていた。
「乾…」
「俺は、海堂を手に入れるよ」
そこには有無を言わさぬ響きがあり、手塚は諦めたように溜息を一つ吐いた。
「好きにすればいい」
手塚が言える言葉はこれだけ。
「それだけ?」
「他に何がある?」
「ん〜、例えば、俺というものがありながらとか?」
真剣にボケる乾に、手塚はまた溜息を一つ。
「…お前が言ったんだろう」
呆れたような声音を混じらせ、手塚が呟いた。
「俺が海堂に寛容だと」
「…気づいてた?」
俺が海堂を見てたの?
「当たり前だ」
俺が見てるのは、常にお前だからな。
顔を近づけ、唇を寄せると、乾はそれを甘受する。
「足りないんだよ、手塚」
お前が与えてくれるものだけじゃ、俺は満足出来ない。
「知っている。お前が、貪欲なことくらい」
両親が、ほとんどで仕事で帰ってこないために、まともな愛情を知らずに育った乾。
だからかは知らないが、乾は愛情に関しては貪欲なまでに欲しがる。
「俺は、愛されるだけじゃなくて、愛したいんだよ」
「わかっている」
痛いほどに、そのことは…
お前が何度も、それを俺に求めたことも。
俺が、それを拒み続けたことも……
俺は、俺のつまらないプライドのために、乾の気持ちを無視し続けた。
俺は乾を抱きたいと、愛したいと思い、乾はそれを受け入れてはくれた。
ただ、乾は自分もまた、そうやって誰かを愛したいのだと、甘やかしたいのだとも、俺に告げた。
それを、乾が自分に求めていたのだとわかっていたけど、俺はずっとそれを拒み続けた。
そのつまらないプライドのために……
「俺は、我侭なんだよ」
欲しいものは、手に入れないと気がすまない。
愛してくれる存在がいるなら、愛せる存在も欲しいのだ。
勿論、それが同一人物だったら、楽だったのだけれど……
手塚は、俺を愛することだけを願うから
俺には、他の誰かを探す以外に道はなかった。
それが、手塚やその誰かを苦しめることになるだろうことは理解していても。
俺は、俺が幸せになるためにしか生きれなかったのだ。
「…俺も、同じだ」
目を伏せて呟く乾に、手塚も同じように目を伏せ呟く。
乾が何を欲しいか気づいていてなお
求めているものを知っていても、
それでも、俺は譲ることが出来なかった。
だからこそ、覚悟はしていた。
いつか、乾が誰かを見つける日のことを。
それしか、俺たちがこの関係を続ける方法がなかったから。
そして、あの日…
乾と海堂の間に、接点が出来たときから、ずっと覚悟していたのだ。
乾がそう言い出すのを……
永遠に来ないことを望みながら…
「手塚…」
乾の手が、手塚の頬に伸びる。
「俺には、お前も必要なんだ」
そして、海堂も…
困ったように笑う乾。
今、自分はどんな表情をしているのだろうか?
「乾、アイシテル…」
そっと頬を包む手を取って、唇を寄せる。
「…ゴメン」
苦しそうに自分を写す乾の瞳が伏せられる。
少し震えた声に、気づかない振りをして、俺は乾の唇を塞いだ。
もう、それ以上、苦しそうな声も、辛い話も聞きたくはなかったから。
全てを忘れるように、乾の体を貪った。
「部長…」
震えるような声が、手塚の耳を刺す。
予想が出来ながら振り向いたそこには、海堂がいて、
「どうかしたか?」
いつもと同じ声が出ただろうか?
そんなことを心配しながら、海堂に声をかけた。
乾に「海堂が欲しい」と伝えられてから、数日が過ぎていた。
乾と海堂は、乾が海堂の自主練のメニューを組み立てている都合上、よく二人でいることが多い。
その上、部活後の海堂の自主練が終わるまで、乾は部室で海堂を待ってるので、いつでも乾には海堂にあの言葉を告げる時間があった。
あれ以来、ずっと海堂を見ていた。
何かが起きても変化に乏しい乾を見るより、そういう意味では素直な海堂を見るほうが、それを確実に知れたから。
そして、今日…
「お話したいことがあるんですが…」
滅多に他人に話しかけない海堂が、自分に話しかけてきた。
それが意味するところは一つ
乾が、海堂にアレを告げたという事実。
「俺もだ」
海堂の瞳を真っ直ぐに見据えて、伝える。
俺もお前に言いたいことがあるのだと。
同じように、突き刺すような視線で俺を見据える海堂に
「部活後、コートで」
「はい」
それだけを伝えて、それぞれの持ち場へと戻った。
部活終了後、海堂は自主練のためにコートへ
乾はそれを待つついでに、データの整理を始める。
他の部員たちは、着替え終えてそれぞれの帰路を辿り、気がつけば部室に残ったのは、乾と部誌を書いていた手塚の二人だった。
「手塚」
向かい合わせに座り、お互い一言も口を聞くことなく、自分の仕事に没頭していた二人。
不意に乾が手塚を呼ぶ。
その声に手塚が顔を上げる。
「海堂に伝えたよ」
乾はそれだけを告げて、またデータの整理に戻る。
「そうか」
ノートに視線を戻した乾に視線を向けながら、手塚が呟く。
自分を見ない乾に、不安が押し寄せてくる。
抗いがたい感情が心を埋め始め、搾り出すように乾を呼ぶ。
「乾…」
手塚の手がテーブルの先にいる乾に向って伸びる。
「…っ」
乾の制服の襟を掴んだ手塚が、そのまま勢いよく引き寄せる。
首を襲う短い衝撃に小さな声を漏らす乾。
手塚のもう片方の手が乾の眼鏡を奪い去り、そのまま口吻を施した。
賽は振られ、もう、後に戻ることは出来ない。
乾を挟んで、正反対の場所に立つ、手塚と海堂。
彼らが選ぶ道は
共存か、それとも……
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