透明な優しさ  -最後の恋-



もしも、本当に神様なんてものが存在するなら…
他には何も望まないから
どうか、彼にあの子を逢わせてください……
たった一人の人に……


彼と話すのはとても楽しかった。
何も気兼ねすることなく話せることが、これ程楽しいことだなんて初めて教えてくれた。
彼を始めて見たのは入学式。
壇上に上がり新入生代表の祝辞を述べているところだった。
隣にいた、小学校からの友人、菊丸英二が

「見るからにガリ勉そうだにゃ〜」

と、彼を見て評していたのを覚えている。
その彼と僕たちは同じクラスで、

「じゃあ、委員長に乾君、副委員長は不二君でお願いね」

一緒に学級委員をすることになってしまっていた。

「乾君、よろしくね」
「乾でいいよ。俺のほうこそよろしく。不二でいいかな?」
「構わないよ」

中学生活初めてのHRの後、形ばかりの挨拶にいった僕に、彼はとても気さくに話しかけてきた。
もっと、根暗なタイプだと思っていたよ。
仲良くなってから、この時の僕の感想を、そう彼に評したことがある。
それに

「ひどいな」

彼は苦笑を返してくれる程、仲良くなるなんてまだ思ってもいなかった。

「乾…」
「不二、帰ろう」

二学期になるまでは一緒にこのクラスをまとめていかなくてはならない相手を探ろうと、しばらくお互いにとりとめない話をしていた時、僕たちを呼ぶ二つの声。
一人は、僕の友人の英二。
もう一人は

「手塚」

眼鏡をかけた真面目そうな少年。
乾が彼を手塚と呼ぶ。
名前だけは聞いていた存在。
同年代でテニスをしているなら、誰でも知ってる人物、手塚国光。

「まだ行かないのか?」

手塚はあまりまわりのことは気にしないタイプらしく、そのまま乾に話しかける。

「ん?あぁ、悪い」

手塚の言葉に思い出したようにカバンを持って立ち上がる乾。

「じゃあな、不二。それから…、菊丸」
「えっ、俺の名前なんで知ってんの?」

英二が驚いたように乾を見る。

「さっき、自己紹介しただろう?」

そんな英二に乾は不思議そうな顔をする。
普通、一回っきりの自己紹介で名前を覚えるわけないと思うんだけど。
それは、そこにいた乾以外の人間全員が思っていたことらしく、

「普通は、そんな簡単に覚えれんぞ」

彼の隣にいた手塚が呆れたように呟いた。

「そっか?お前が覚えなさ過ぎなんだろ?」
「…もういい」

返された言葉に、手塚が眉間に皺を寄せる。

「不二、帰ろうよ」

へぇと珍しそうにその様子を観察してる僕に、英二が声をかけてきた。

「あっ、御免ね」

むぅっとした英二にニコッと笑って、自分の机に戻ってカバンを取る。
既に乾と手塚は教室を出た後だった。

「ねぇ、英二」
「にゃに?」
「乾ね、ガリ勉タイプってわけじゃないと思うよ」

会話中に彼を見て思ったことを英二に伝える。

「それに彼、手塚と仲いいみたいだし」
「手塚って?」

僕の言葉に英二が、誰と聞いてくる。
乾ほどとは言わないけど、せめて手塚ぐらいは覚えてて欲しいよ。

「あの手塚国光だよ。さっき、乾の横にいた奴」
「嘘?あの手塚?」

やっとで気づいたらしい英二に僕は苦笑する。

「何で、そんな奴があのガリ勉君と?」
「英二、それはいくらなんでも失礼だよ」
「そっかな?」

後日、思い出したように僕がこの日の話を乾に振ったところ、それからしばらく英二はペナル茶と野菜汁の餌食になっていたのは、余談だけどね。


僕の言葉が真実だと英二が知ったのは、それからしばらくしてのこと。
クラブの説明会が終わり、ようやく新入生の仮入部を受け付けるようになった日。
彼がラケットケースを持って来ていたから。

「乾って、テニスすんの?」

僕と乾が学級委員の都合で、自然と四人でいることが多くなり、英二はすぐに乾に懐いた。
今も、乾に張り付いて興味津々といった態度で聞いている。

「するよ。菊丸もするんだろ?」
「勿論。じゃあさ、入部届け一緒に出しに行こうな」
「そうだな。不二も行くだろ」

英二を引きずって教室に入ってくる乾が、確認するように口を開く。

「そうだけど、乾知ってるの?」

僕がテニスしてるの。
最後の言葉は口にしなくても乾にならわかってもらえる。
短い付き合いだけど、乾はそういう人の感情や言葉を先回りするのが上手なことに僕は気づいていた。
だから、僕は彼と話すとき、とても気が楽になる。
言葉を選ぶ必要も、必要以上に話す必要もないから。

「有名だろ。不二と手塚は?」

あの手塚でも、不二のことは知ってるんだぜ。
ひっそりと僕と英二に耳打ちしてくる乾に、僕らは手塚を横目で見ながら笑った。

「……」

話題にされてる手塚は、不快そうに眉間に皺を寄せていて、僕らは余計に笑ってしまった。
その日の放課後、四人で入部届けを出しに行ったら、どうやら例年、仮入部の時と遠征は重なってしまうものらしく、仮入部は明日からとなってしまった。

「えぇ〜、今日はテニス出来ないの?」

不満そうに口を開く英二に、乾が英二の猫っ毛な髪を撫でる。

「仕方ないでしょ」

口元に笑みを敷きながら、英二の髪を撫でる乾。

「仕方ないにゃ〜。その代りに、遊びに行くからね」

ふにゃ〜と嬉しそうに笑う英二。

「はいはい」

手で口元を押さえて笑う乾は、まるで英二の保護者みたいだった。

「…行くぞ」

入部できないのなら用はないので、さっさと帰ろうとする手塚。
僕たちもそれに続こうとした時、

「そこの1年」

コート内のテニス部の先輩たちに声をかけられる。

「何ですか?」
「うちに入るつもりなんだろ?」
「そうですけど…」

ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる先輩に、僕は嫌な感じがした。

「ゲームしていかないか?」

一人がコート内を指して言うのに、英二が

「ゲームって?」

興味を引かれたように問い返す。

「ルールは簡単…」

二年後、越前たちが林と池田にさせられたゲームなので、その説明は省くことにするね。
説明を聞いて、僕は絶対に何があると思った。
そして、それは僕だけじゃなかったらしく、

「…お断りします」

手塚がさっさと、断った。
乾は何か思うととこがあるらしく、さっきからごそごそとカバンを漁っていた。

「僕も、遠慮します。いこ、英二」
「…うん」

英二も直感で何かあると思ったのか、大人しく帰ろうとしていた。
けれど、彼らにとっては面白くないことらしく、

「待てよ…」

偉そうに僕らの前に立ちふさがってきた。

「優しい先輩たちが遊んでやろうというのに、その態度はないんじゃないか?」

どうやら、それをするまで帰してくれなさそうな様子にどうしようかなと考えていると、

「…わかりました」

乾と目で会話をした後、手塚がそれだけ言ってラケットを取り出した。

「大丈夫かにゃ?」

コートに入っていく手塚を見送って、英二が心配そうに呟く。

「大丈夫だよ」

僕と英二の間に立った乾が、僕たちの頭をポンポンと軽く叩いて、安心させるように笑った。
その笑顔に英二は安心したように笑い返して、コートを見る。

「有難う」

僕も少しだけ不安だった。
表には出してないつもりだったけど、乾にはバレてたみたいで、乾の一言に凄く安心した。

「どういたしまして」

そっと囁くように出した言葉に乾は返事をして、コートへと向かう。
缶の上蓋にボールを綺麗に当て、石が詰まった缶を倒した手塚。

「あーっ、ズルしてる」

倒れた缶から大量の小石が出たのを見つけた英二が騒ぐ。

「チッ」

僕たちをカモにしようとしていた先輩たちが気まずそうに顔を見合わせる。
手塚はもう一度、ラッケトを振る。
ボールは倒れた缶に当たり、缶は当たった勢いで跳ね上がり、コートに向かった乾の手の中に納まる。

「これで、満足でしょう」

唖然としている先輩たちに一瞥をくれて、手塚が乾の元に歩み寄る。

「おい、待て」

正気に戻った一人が、手塚の肩を掴もうと手を振り下ろす。

「人の友人に手をあげないでください」

すっと手塚の前に立った乾が、その手を掴む。

「…っ」

掴まれた先輩は、痛そうに眉を顰める。

「てめぇ、離せ!!」
「先輩にそんなことしていいと思ってんのか」

他の先輩たちが乾に詰め寄ってくる。
が、乾は涼しい顔をして、

「俺たちにも、先輩を選ぶ権利があってもいいでしょ?」

サラリと抑揚のない声で話す。

「乾、手加減しろよ」

数人の先輩たちに囲まれる乾にそれだけを伝えて、コートを去る手塚。

「わかってるって」

乾はほんの少し、楽しそうに返した。

「手塚、乾ほっといていいの?」
「構わん」

心配そうに手塚のまわりをおろおろする英二と違って、手塚は至って平静だ。

「あれ位なら、5分もあれば終わるだろ」

さっさとラケットを片付けて、帰り支度を始める手塚。
僕たちは、乾へと視線を戻した。
彼は、片手をポケットに突っ込んで、もう片手で缶を握っている。
既に先輩の手は離していた。

「生意気な後輩だな」
「痛い目見ないとわからないらしいな」

嫌な笑いを浮かべる先輩たちに、乾はフッと笑みを零す。

「痛い目見ないとわからないのは、あんたたちでしょう」
「何だと」

乾の吐いた言葉に、一人が乾に掴みかかろうとするが、ヒョイとよけられ体勢を崩す。

「てめえ」
「いいから、やっちまえ」

それを機に、他の先輩たちも乾に攻撃を開始する。

「…すげえ…」

英二が感嘆の声をあげる。
目の前で、乾は先輩たちの攻撃をよけながら、一切、手を使わずに足だけで反撃をしてる。

「乾って、強いんだね」

不意に横にきた手塚にそう伝えると、

「あれでも、手加減してる」

そう返された。

「嘘!?あれで、手加減してるの?」
「ああ。乾は武道一般は極めてるからな」
「そうなんだ」

手塚が最初に言った通りに5分足らずで、先輩たちは地に這い蹲ることになってしまった。
乾は、涼しい顔で立っている。

「お前、こんなことしてタダで済むと思ってんのか」
「思ってますよ」

ホラとポケットから手を出す。

「先輩たちが、大人しくしててくれたら済む話ですし」

乾の手の中には、MDウォークマン。

「これ、録音も出来るタイプなんですよ」

訝しげに見つめる先輩たちに、説明してやる乾。
そのまま、彼の長い指が再生ボタンを押す。

「…お前」

そこからは、先ほどの先輩たちの会話が流れてきた。
丁寧に、自分たちがしゃっべったまずい言葉は消された状態で。

「これも、十分な証拠物件ですしね」

もう片方の缶を見せ付けるように掲げる。

「それで、手塚はアレを乾に渡したんだね」

ようやく納得のいった僕は、手塚を見る。

「こういう時は、乾に任せるのが一番だからな」

慣れてるらしい物言いに、過去にも何度かこんなことがあったのが伺いしれる。
僕なんかは、表向きいい子の振りしてやり過ごしてきたけど、彼らは逆でやり過ごしてきたらしい。

「もっと、早く逢いたかったな」

そうしたら、もっと早くに自分を出せたのに…

「今からでも、十分だろ」
「そうだね」

手塚の言葉に、珍しく僕は心から笑った。

「お待たせ」

僕たちが話してる間に、どうやら先輩方と話をつけ終わったらしい乾が戻ってきた。

「行くぞ」

乾の帰る用意が整ったのを見て、手塚が声をかける。
先を進む手塚に、僕たちもついていった。

「何だか、嫌だにゃ〜」

帰る途中、不意に英二が呟いた。

「何が?」

僕がそう問いかけるとほぼ同時に、

「大丈夫だよ」

と乾が英二に声をかける。

「もし手を出してきても、守ってやるから」
「うん。よろしくね、乾」

英二の髪を掻き混ぜて話す乾に、英二が擦り寄ってくる。
末っ子の英二にしてみれば、こういう仕草ってのは甘やかされてるみたいで好きなんだろうと思う。

「僕も守ってね、乾」

そんな二人の様子に、僕は少し羨ましく思って乾の腕に抱きつく。

「あぁ」

乾はそれを嫌な顔一つせずに受け止めて、僕の髪をクシャリと一回掻き混ぜた。


それは、まだ彼と僕たちの背がそれほど変わらなかった頃、
それでも、彼は今と変わらず、大人びていた。

Fin