「先輩、よろしくお願いします」
「…海堂?」
乾の部屋。
部屋の主が戸惑うような声をあげる。
その原因となる少年は試合前の時のように、今にもバンダナを出してきそうな気合の入りようで、勉強道具をテーブルに置いて、乾の向かいに正座して座っていた。
「何も、そんなに気合入れなくても」
テスト勉強を見て欲しいと言われたけど、ここまで気合を入れる必要があるのかどうか…
これは、何かあるかな…
苦笑を見せて、海堂の様子を見ながら答えを出す。
「何か、あった?」
「…別に」
「お前の別にってのは、何かあったって意味だからな…」
嘆息しながら話す乾をチラッと見て、海堂がいいにくそうに口をモゴモゴさせる。
「…桃城と賭けで…」
「桃と?また、喧嘩したの?」
呆れたような乾の声に、海堂は俯きながら頷く。
そう、犬猿の仲の桃城と海堂は、つい先日も喧嘩をしたばかりだった。
その原因が、テストに関することで…
授業中、寝てることが多い桃城は、ノートを取っているわけがなく、このままでは間違いなくテストは赤点。
そんなことになれば、あの厳しい部長の雷が落ちてくるので、それだけはなんとしても避けたい桃城は、仲が悪い海堂の元に訪れた。
同じテニス部の二年の中で、一番、成績のいいのが海堂だった。
もともと、中の上くらいの成績だったが、乾と付き合うようになってからは勉強も見てもらえるので、自然と成績もあがり、常に20位以内には入っていた。
桃城にしてみれば、手塚の雷よりも嫌いな海堂に物を頼むほうがよっぽどマシだったのだ。
「よお、海堂」
しょっぱなから怒らせては元も子もないので、素直に名前で呼びかけるが、海堂からしてみれば桃城から話しかけられるだけで、機嫌の悪いものになる。
「…んだよ?」
不機嫌そうに睨みつけてくる海堂に、カチンときた桃城だったが、ここで喧嘩になってしまえば待ってるのは校庭何十周という部長の言葉なので、気を取り直して話しかける。
「ちょっとさ、ノート貸してくんない?」
「あ?」
「ノート、出来れば、全教科分」
機嫌を伺うように両手を前で組んで、なるべく引き攣りながらも笑って頼む桃城に
「…気持ちわりぃ」
と、一言吐き捨てた。
流石に、ずっと我慢してきた桃城もその一言でキレる。
「てめぇ、人が下手に出て頼んでるってのに、あんまりな言い草じゃねぇか」
さっきまでとは打って変わった桃城の様子に、海堂も臨戦状態になる。
「事実だろうが。大体、バカなお前が今更、勉強したって遅ぇんだよ」
「んだと、誰がバカだ」
「てめぇ以外に誰がいる」
フンと鼻で笑う海堂。
「てめぇだって、乾先輩に教えてもらってるくせに、10以内には入ったことねぇだろ」
あの万年首席の先輩に教えてもらいながら、その成績じゃ大したことねぇよな。
鼻でせせら笑う桃城。
「入れねぇわけねぇだろ」
実際、入ったことはないのだが、桃城の言い方にカチンときた海堂が言い切る。
桃城にその気がなくても、海堂には自分の頭が悪いのだということとともに、まるで乾の教え方が悪いと言われてるような気がして腹が立った。
「じゃあ、入ってもらおうか」
出来るわけねぇさ。
とばかりの桃城の声に
「あったりめぇだ」
きっぱりと言い切る海堂。
「もし、入らなかったら、一週間、乾先輩の半径1メートル以内に近づくなよ」
「あ?何で、そんなもんしなくちゃいけねぇんだよ」
「何?出来ねぇの?試験に自信がないっていうなら別だけど、自信あるならこんな賭けしたって大丈夫だよな〜」
ニヤニヤと笑いながら話す桃城を、ぶっ飛ばしたいのを堪えて
「出来るに決まってんだろ。その代り、俺が10位以内に入ったら、一週間、越前の半径1メートル以内に近づくなよ」
相手にも同様の賭けを求めた。
「OK。じゃあ、海堂にはせいぜい頑張ってもらおうじゃないか」
当初の目的はどこへやら、楽しそうに帰っていった。
一体、自分の勉強はどうする気なんだろうか?
取りえず、賭けの内容は省いて乾に話した海堂。
聞き終えた乾はというと、どうやら、桃城のバカさ加減に笑いのツボを刺激されたらしく、テーブルに突っ伏して笑ってる。
「桃、あいつ。自分のテストが悪かったら走らされるってこと、忘れてないか…」
「アイツは、そういう奴でしょ」
初めて見る乾の姿に、驚きながらも、原因が桃城だと思うとムカついてくる海堂が、頬を膨らませてそっけなく言い放つ。
「確かに…ハハ、久しぶりに笑わしてもらったよ」
ようやく笑いを収めた乾が顔をあげる。
涙が出るほど笑ってたらしく、メガネを取って涙を拭いている。
「そういえば、何を賭けたの?」
「…それは、ちょっと」
「何、言えないこと?」
「……」
「言えないことで賭けの対象になるというと、俺が関係あるってことかな?」
どことなく確信に近いものをもって、乾が問う。
乾の言葉に、瞬時に海堂の頬が赤くなる。
「まあ、言いたくないなら、くわしくは聞かないけど」
「…スンマセン」
「いいよ。どうやら、俺にも関係するみたいだし。頑張って、10位以内目指そうな」
「はい」
二人とも、きちんと座りなおして勉強を始めた。
それから毎日、海堂は乾に勉強を見てもらっていた。
そして試験も無事終わり、しばらくは試験休み。
だが、当然、部活は始まる。
ので、必然的に
「っよ、マムシ。調子はどうよ」
桃城が楽しそうに海堂に話しかけてくる。
この場合の調子とは、部活のことじゃなくて昨日までのテストのことだろう。
「ふん、そっちこそ。せいぜい。校庭を何周走ってもいいように力つけといたらどうだ」
何だか、乾と不二の冷戦に近いものを見ている気になってきた部員たちが、ザワザワとし始める。
「なんだ、あいつら。いつもなら掴みあいになってるってのに…」
「こえーよ、何か」
三年レギュラー陣たちは、現在、ミーティングのため、全員、部室に集まっていたために、二人を止めれるものはいない。
せめて、いつものように怒鳴りあって、掴みあいになってくれれば、呼びにいけるのに…
「せいぜい、この休みのうちに、乾先輩とイチャついとけよ。休みがあけたら、近寄れなくなるんだしな」
絶対に海堂が10位以内に入れないと思っている桃城は自信満々に言い切る。
「てめぇこそ、今のうちに越前懐かせとくんだな。一週間も離れてたら、すぐに他の奴んとこ行かれるんじゃねぇか」
「はん、俺と越前はそんなヤワな絆じゃねぇよ」
腕を前で組んで、自信満々に言い切る。
「俺んとこの心配するより、自分の心配しろよな、海堂」
「あ?」
「てめぇこそ、一週間の間に、他の誰かに先輩取られないようにしないとな」
あの人、人気あるからな〜
「それこそ、心配の必要なんかねぇな」
あの人が、俺以外に目を向けるわけねぇだろ。
桃城以上の自信で持って答える海堂。
二人とも、引く気は全然ない。
そんな二人に、話しかける人物が…
「何の話?」
「さっきから、人の名前ばっか出さないでくださいよ」
片やおもしろそうに、片や鬱陶しそうに話しかけてきたのは、話題に出されてる、乾と越前の二人。
「先輩」
「越前、何で乾先輩に抱き上げられてるんだよ」
海堂は驚いたように乾を凝視し、桃城は面白くなさそうに越前を見る。
何故か越前がいるのは、乾の腕の上。
乾の片腕に腰をおろして、乾の首に腕を回して、態勢を保っている越前。
お互い一人っ子の乾と越前。
面倒見のいい乾は、昔から弟や妹を欲しがっていて、我侭で生意気な越前は、無理だとはわかっていても昔からお兄ちゃんを欲しがっていた。
そんな二人が偶然、出会って、ふとしたきっかけでお互いのその望みを知ったときから、この二人、お互いを弟、兄のように思うようになっていた。
たまにこうやって、兄弟ごっこのようなことを始める二人に、部員たちは微笑ましく見る。
ただし、若干二名ほどは別だが。
その若干二名ほどの前で、この二人は平然と仲良くやっているのだ。
「あんた、腕は大事にしろよ」
むすっとした声で海堂が呟く。
その声に、乾はああと返して、越前をそっと降ろす。
「今度、お前にもしてやるから機嫌直せよ」
「いらねぇ」
ぷんと横を向く海堂に、困ったように乾が笑う。
「で、何の話なんすか?」
そっち二人を無視して、越前がサクサクと話を進める。
「あぁ、試験の賭けのことだよ」
桃城が思い出したように、こうなった原因と賭けの内容を話しだす。
「なるほど、それで内容は言えなかったわけだ」
きっちりと桃城の話を聞いていた乾が、海堂に話しかける。
「ま、でも、あれだけ頑張ったんだし、大丈夫だよ」
自信あるでしょ?
と、微笑みかける。
「勿論っす」
乾の目を見つめて、はっきりと海堂は頷く。
「越前は、一週間ほど、桃と離れても平気?」
海堂の言葉に満足げに笑って、越前に話を振る。
「なんすかそれ。まるで、俺が負けるような言い方じゃないっすか」
それに、桃城が反論するが
「俺のデータじゃ、桃城が賭けに勝つ確率は0%だけど」
お得意のデータを披露してくれる乾に、桃城は渋い顔になる。
だが、越前は平然と
「別に、構わないっすよ」
と、何でもないようなことを言ってのける。
「おい、本当にいいのかよ」
思わず、それに慌てたのは桃城で、咄嗟に聞き返すが
「俺は別に、桃先輩がいなくても、乾先輩と海堂先輩に構ってもらうから、構いませんよ」
既に、この二人に異常に懐いてる越前は、事も無げに言い切る。
それにガックリと項垂れる桃城に、苦笑を漏らす乾。
興味なさそうな海堂と越前。
勝負の結果は、既についてそうな勢いだった。
結果発表…
「げっ…」
廊下にデカデカと張り出された順位表。
ルンルンと見に行った桃城。
そこで見たのは、下から数えたほうが早そうな自分の成績と
「約束通りに、一週間、越前の半径1メートル以内に近づくなよ」
横でフンと燃え尽きた桃城を嘲笑う5と書かれた下に名前をのせた海堂の成績。
二人の賭けは、無事、10位以内に入った海堂の勝ちだった。
「校庭走る上に、越前にも近づけねぇ、大変だなお前も」
楽しそうに話す海堂に
「てめぇ、いつもは全然、しゃべんねぇくせに、こういう時だけしゃべるんじゃねぇよ」
悔し紛れに、桃城が怒鳴っていた。
その日の、部活後
「先輩」
手塚による、有難い説教と校庭を走り終えた桃城の耳に、わざと届く程の声で海堂が乾に近づく。
「ん?どうした、海堂?」
ぴったりとくっついてくる海堂の頭を撫でながら、優しい声で乾が問う。
「俺、今回のテスト頑張りましたよね」
乾に抱きつきながら上目遣いに乾を見上げる。
「そうだね」
「ご褒美、ないんすか?」
小首を傾げて聞いてくる海堂の様子に、メガネの奥で目を細める。
「欲しいの?」
甘い声で聞いてくる乾に、海堂がコクンと頷く。
「何が欲しい?」
乾の言葉を聞いて、海堂がチラッと桃城の様子を眺める。
物凄く機嫌の悪そうな顔で、こっちを睨んでる桃城にざまあみろと鼻で笑って、乾に向き直る。
「…キス…」
そっと上を向いて、瞳を閉じる。
思い存分、桃城に見せ付けてやろうとしている海堂だった。
「桃城が可哀そうだな…」
海堂の考えてることがわかった乾が苦笑しながら、桃城を見る。
校庭を走らされた挙句、越前に近づけない状況で、見せ付けるのは何だか気の毒になってきた乾は、
「後でじゃ、ダメかな?」
と、訊ねて見るが、思いっきり、膨れっ面を見せ始めた恋人に嘆息する。
「こらこら、そんなに膨れない」
指で膨れた頬をつつく。
「桃城ばっか、気にしてる…」
指を鬱陶しそうに跳ね除けて、横を向く海堂に、乾が苦笑する。
「だってさ、もしかしたら、あれが俺だったかもしれないしな〜」
そう思うと、同情せずにはいれない乾。
それでも、海堂は面白くない。
「それじゃ、俺が頑張ったのがいけないみたいだ」
不機嫌そうに言い放って、プイッと乾から離れようとする。
「そうじゃないって」
が、気づいた乾に腕を掴まれ、抱き寄せられる。
「俺の言い方が悪かった」
ギュッと抱きしめて、桃城には可哀そうだが、これが原因で喧嘩するのも嫌なので、乾は海堂の唇にそっとキスをする。
「これで、機嫌直してよ?」
「やだ」
「やだって、お前ね…」
「…もっと…」
くるっと体を反転して、首に腕を回してくる海堂。
乾はチラッと、桃城のほうを見て、目だけで悪いと謝って、海堂の望み通りに唇を重ねた。
「マムシの奴、ここぞとばかりに見せ付けやがって」
全てを見せ付けられた桃城が悔しそうに吐き捨てる。
「賭けに負けた、桃先輩が悪いんでしょ」
大体、賭けをすること自体、間違ってる気がするんすけど…
「海堂先輩の執念深さは有名でしょうが」
目的のためなら、努力を怠らないあの人にあんな賭けを挑むほうが無謀だろうと思うんっすけどね。
きっかりと、半径1メートル離れたところから、突っ込んでくる越前。
「越前…」
「それ以上は、近づかないでくださいね」
すがり付いてきそうな桃城に冷たく言い放って、コートに入る越前。
桃城の明日はどっちだ?
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