その日は太陽の光が降り注ぐ、天気のいい日だった。
部活中、球拾いの合間にたまに立ち上がってはクンクンと鼻を鳴らす海堂に気付いた乾が海堂に声をかける。
「海堂、どうしたの?」
「あ…先輩」
空を見上げていた海堂は、乾に声をかけられて、パタパタと乾の元に向かった。
「さっきから、空を気にしてるよね?」
「…見てたんっすか…」
乾は二年でレギュラー、海堂は一年でまだランキング戦にすら出してもらえない新入部員。
乾がいるのはレギュラー使用しているコートの傍。
フェンスに凭れかかりながら、ノートを開いている。
それに対して、海堂はレギュラーコート周りの球拾いをしていたから、確かに近い場所にいたと言えばいたかもしれないが、それにしてもよっぽどちゃんと見てなければ気付かないだろう。
それぐらいの短い時間しか、海堂は立っていなかったのだ。
そういうことを考えると、海堂の頬が微かに朱に染まった。
「うん、今日は少し集中出来てないなと思って」
「すみません」
「ああ、別に俺は説教してるんじゃないから」
「はい」
「手塚に見つかったら、走らされてたかもしれないけど」
「っすね」
「俺は、単に海堂が何をそんなに気にしているのかなと気になっただけ」
「…雨…」
乾に訊ねられた海堂が、そっと空を見上げてポツリと呟く。
「雨?」
「雨の匂いがするなと思って」
そう言って、海堂はまたクンクンと空気の中の雨の匂いを確かめるように、鼻を鳴らす。
「海堂って、ほんと…」
目を瞑って、少し顔を突き出すように鼻を鳴らす海堂に乾は苦笑混じりに呟く。
「何っすか?」
「んー、動物みたいだなって」
「先輩も、俺のことマムシって思ってるんですか?」
乾の言葉に海堂がムッとしたように口を尖らせる。
「違うよ。蛇とか爬虫類とかじゃなくて、犬や猫の哺乳類のほうを言ってるんだよ」
「犬や猫?」
「うん、犬とか猫って外に出すと、よくそうやって外の匂いを嗅いでるだろ。それに似てるなと思ったんだよ」
「っすか」
「ん、何か本能で生きてるって感じがする」
「…やっぱり、嬉しくないっす」
「そうか、それは悪かった」
何となく人として扱われてないような気がして、海堂はムッとするが、乾は悪びれる様子もない。
「それにしても、いい天気なんだけどな」
「降りますよ」
乾が見上げた空は、雲ひとつないような快晴。
それでも、海堂は自信あり気に言い切る。
「そっか」
「っす」
そんな海堂の様子に、乾は優しそう笑顔を見せる。
「乾!」
「呼ばれちゃった」
「ですね」
「じゃ、後でね」
「はい」
部活中の密かな逢瀬も、乾が手塚に呼ばれたことで終わりを告げる。
最後に軽く手を触れ合わせて、それぞれの練習へと戻っていった。
部活終了直後
ほぼ全員が部室へと入った直後、海堂の言っていた通りに雨が降り始めた。
「当たったね」
「っす」
着替え終わった乾が窓を見て、隣にやってきた海堂に話かける。
和やかに話す乾と海堂に対し、他の部員たちは予想もしなかった雨に騒然となっていた。
「海堂、傘は?」
「あるっす。先輩は?」
「流石に今日の雨は、データーになかったからな」
「入っていきますか?」
「いいの?」
「っす」
「じゃあ、お願いしようかな」
大石とか手塚・河村などのようにきっちりと折りたたみを常備しているようなしっかりしたタイプでもない限り、傘を持ってるものがいるはずもなく、皆、雨が止むのを待つかのように部室の中から窓の外を眺めている中、着替え終わった乾と海堂は悠々と出ていった。
「俺が持つよ」
今の乾と海堂の身長差は20センチ以上は軽くある。
下手すれば30以上なんてこともあるかもしれない。
それだけ差があるわけなので、海堂が傘を持っても乾が中に入るにはかなり体を折り曲げなくてはいけない。
「あ、はい」
だからと言って、海堂は素直に傘を渡してしまったが、乾が持ったら今度は海堂に被害が出るので、渡せない。渡しちゃったけど…
何故かって?
そりゃ、これだけの身長差があるんだから、乾に合わせて傘をさそうもんなら海堂はすぐ横にいたって濡れるに決まっている。
「先輩?」
そんなことは、乾もすぐに気付いたので、困ったように雨を見つめながら物思いに耽っている。
「そうだ」
不思議そうに傘を渡そうとした格好のまま乾を見つめていた海堂の前で、乾はポンと手を叩いて海堂に向き直る。
「こうしたら、二人とも濡れないよな」
「え…うわっ…」
突然、乾に抱き上げられて驚く海堂。
「せ、先輩!」
「ほら、こうしたらさ二人とも濡れないだろ」
抱き上げられた海堂は、乾の片腕に座らされる。
「はい、傘差して」
「で、でも…」
「いいから、それから片手を俺の首に回して」
「あの…」
「ほら、やる」
「……はい」
空いてる片手で、無理やり手を首に回させられて、海堂は仕方なさそうに頷いて傘を差した。
「…重くないですか?」
「軽いよ」
自分の姿を周りから隠すように海堂は傘を深くさす。
海堂の荷物も乾の肩に乾の荷物と一緒にかけられていて、海堂は乾にかかる負担に不安そうに声をかけた。
「やっぱ、俺歩きますよ…」
「それはいいけど、それだったら傘は海堂一人でさすんだよ」
「それはダメっす」
「だったら、このままね」
「っす」
そして、そんな会話を延々と繰り返している。
「あ、先輩…」
「何?」
「何処行くんっすか?先輩の家、あっちですよね?」
「海堂の家に決まってるでしょ」
そのまま、歩きだすうちに乾と海堂の家の分岐点を乾は海堂の家の方向に歩き始める。
驚いた海堂が乾に声をあけるが、乾は逆に不思議そうにする。
「でも、俺が傘持ってますから、先輩の家に行ったほうが?」
「いいよ、海堂の家から俺の家なら走って帰れる距離だから」
「そんなわけには行かないっす」
「海堂に遠回りさせるわけにもいかない」
「でも、俺は傘があるから、先輩の家から帰っても濡れないっすし」
「海堂の家からの距離なら、傘がなくてもそんなに濡れないよ」
「でも…」
何とか乾を思いとどまらせようと、海堂が言い募るが、海堂は乾に抱きかかえられているために、口で言い合おうとどんどんと海堂の家に近づいている。
「先輩!」
「もう遅いよ」
何を言っても聞いてくれない乾に、しびれを切らした海堂が大声を出すが、既にそのこは海堂の家の前だった。
「はい、到着」
そう言って、海堂を降ろそうとするが、海堂にギュウッとくっつかれて降ろせない。
「どうしたの?」
「…だったら」
「だったら?」
「雨が止むまで、家に来ませんか?」
「お邪魔じゃない?」
「全然、先輩きたらうちの家族は喜びます」
「そうか、それじゃお邪魔しようかな」
「はい」
海堂の提案に頷いた乾を見て、海堂は嬉しそうに笑った。
玄関まで、抱き上げられたまま連れていかれて、そのまま二人は暖かい家の中へと入っていった。
後は、雨とは無縁の部屋の中で甘い時間を過ごしたと言いたいところだが……
結果、乾は海堂の家族にも勧められて、そのまま海堂の家にお泊りになり、海堂一家による乾争奪戦が勃発したのは言うまでもないだろう。
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