Working holiday



たまの休日。
そのたまでのいつものように、乾は泊まりにきている海堂を腕に抱きしめて眠っていた。
練習以外などで滅多にでかけることの少ない二人は、昨日の疲れも手伝ってぐっすりと眠っていた。
そんな二人の耳に、よく知った音楽が聞こえる。

「ん…」

部屋に響く、16和音の音楽。
それは海堂が偶然、街中で聞いて好きになった邦楽の歌で。
それを知った乾が、自分の携帯の着信音にしたもの。
…ようするに、乾の携帯が鳴ってるということである。
寝ぼけやすい乾と、目覚めはいい海堂。
今、この部屋にいるのは二人だけで…
こうはっきりとタイプが分かれてしまえば、役割は自然と決まってくるわけで…
乾の携帯の着信だというのにも関わらずに、鳴り止むことのなさそうな携帯をとったのは海堂のほうだった。

「もしもし…」

目覚めはよくても、やはり起きぬけの思考。
いつもなら、乾が不在などで携帯を取るときは、きちんと着信者を見てからとるのだが、今回に限っては見ずに取ってしまった海堂。
取るんじゃなかったと、心底思ってしまう電話の向こうの声は…

「あれ?おかしいな〜、乾の携帯にかけたつもりだったのに、海堂のにかけちゃってた?」

朝から、よくまあこれだけの台詞がスラスラと瞬時に出てくるものだと、思わず賞賛してしまいたくなる自分よりも背の低い…変わりに、絶対に逆らってはいけない先輩、不二だった。

「乾先輩のっす…」

通常よりも、少しだけ声のトーンが高く、自分で遊ぼうと思ってることが窺えた。

「…代わります」

このまま自分で相手するには、どうあっても遠慮したい相手なので、さっさと寝てる乾を起こしにかかる。
その際、

「別に、海堂でも。僕は楽しいからいいよ」

と、離してる途中の耳に聞こえた声は、聞こえなかったことにして。

「先輩、不二先輩からっす」

携帯の着信音があれだけ鳴り響いていたのにも関わらず、今も夢の中を彷徨う乾の肩を軽くゆすって起す。

「…わかった」

少しは意識が覚醒していたのか、あっさりと乾は起きて携帯を受け取る。

「何の用だ、不二」

起されたことへの不満からか、起き抜けのせいか、かなり機嫌の悪そうな声で電話に出る乾。

「おはよう、乾。タカさんの家にいるからすぐ来てね。待ってるよ」
「は?何で、河村…って、おい、不二!!」

不二の言葉に乾が何か言おうとしたが、その声が不二に届くことはなく電話は一方的に切られた。
乾の耳には、電話の切られた音だけが響いていた。

「先輩、不二先輩…」

携帯を見つめながら、不機嫌そうに溜息を吐く乾に海堂がそおっと声をかける。

「ああ、何か知らんが、今すぐ河村の家に来いと言ってきた」
「今すぐ、ですか?」

呆れたような口ぶりで話す乾に、海堂は驚いたように声をあげる。

「無茶を平気で言う奴だからな、不二は」

驚く海堂に苦笑しながら、乾が立ち上がる。

「先輩?」
「これで行かなかったら、後が怖いし仕方ないだろ」

疑問符を浮かべる海堂を抱き上げて、乾はやれやれと呟きながら浴室へと直行した。


「遅いよ、乾!!」
「…何、遊んでるんだ?」

簡単に汗を流す為だけにシャワーを浴び、すぐに着替えて家を出た乾と海堂。
やってきた河村の家の前、開いたドアから出てきた不二の開口一番に、不二を見た乾の開口一番がこれだった。
海堂は出てきた不二の姿を見て、絶句している。

「失礼なことを言うね、乾」

いつもよりも笑顔を深めて口を開く不二には、ひっそりと冷気が漂っていた。

「じゃあ、何なんだ?」

人を朝から叩き起こして、すぐ来いと言われて来てみれば、目の前には女物の着物を着た…もとい、着付け中らしい不二が現れたら、ふざけてると思っても仕方ないと思うんだが…

「僕が電話したのって、確か10:30だったと思うんだけど、まだ寝てたの?」

ふ〜ん、そんな遅くまで寝てしまうほど、何してたんだろうね〜
乾の揚げ足を取るように、乾ではなく海堂のほうを見ながら皮肉を言う不二。
見られた海堂は顔を真っ赤にして、不二の視線から逃げるように乾の背後に隠れる。

「別に、休みの時はいつもそれくらいの時間なら寝てるぞ」
「乾はね」

乾の言葉に、意味ありげに笑う不二。

「そうだよ。俺のことを言ってるんだからな」

不二の言葉の意味を正確に理解した上で、乾が答える。
乾はどこにも海堂もその時間まで寝てたとは言っていない。
そこに不二も気づいているので、

「そうだね」

と、あっさりと引き下がる。
まあ、こんなとこで乾と押し問答をしてる時間もないからだからだが…

「で、呼び出した理由は?」
「まあ、入ってよ」

話を戻して問いかける乾に、不二が玄関を開ける。
言われるままに、乾と海堂が河村の家に入る。

「乾、遅い」
「菊丸、お前もか…」

中に入り、居間に通された乾と海堂の見たもの。
それは、不二と同じように女性ものの着物を着てる途中の菊丸と、

「副部長、河村先輩…」

普通に男性の着物を着ている大石と河村だった。

「乾、ごめんね。朝から」

さっきの不二とは違い、殊勝な声で謝ってくる河村。

「何があるんだ?」

近寄ってくる河村に尋ねれば、

「皆で、河村寿司でアルバイトにゃ〜」

と、帯をバタつかせながら菊丸が答える。

「バイトと言っても、報酬は昼食と夕食だけどね」

続いて、不二が説明する。

「バイト?」
「バイトというより、手伝いだよ」

菊丸から帯を取り上げて苦笑する大石。

「実はね…」

すまなさそうに河村が、理由を説明する。
河村の家が、昼の定食を始めてから、それはもう手ごろな値段も相まって、繁盛したらしい。
家族連れに始まって、会社のOL・学生に至るまで。
平日はまだ、OLやサラリーマン位なので、夫婦二人で何とかやっていける程なのだが、休日は、買い物帰りの親子連れや、遊びに出てる学生たちなのが多く、河村の妹も、部活のない日は河村本人も駆り出されてる。

「今日に限って、河村のお母さんも、妹さんも外せない用事があるんだって」

三人でてんてこまいになりながら、何とかまわってる状態だったのに、二人もいない。
せめての救いは、部活が休みだったことだろう。
それでも二人ではどうすることも出来ずに、悩んでいたところに、遊びにきた不二が話を聞いて、他のメンバーを呼び出したということである。

「まあ、そういう事情なら、手伝うのは構わないが…」

一拍おいて、

「何で、着物なんだ?」

その上、うち二人は女物ときた。

「え、あ、これは…」
「僕が、どうせなら華があったほうがいいかと思って」

若女将みたいでしょ?

「僕が若女将なら、タカさんは若旦那ってことで…」
「無理やり、着せたってことか」

不二の言葉に乾が溜息を吐く。

「でね、英二が僕の姿見て…」
「着るって騒いだんだろう?その上に、河村の姿見て、大石に無茶を言ったと」

データ取る必要もないな。

「見事、大当たりだよ」

乾が後を引き取って話した内容に不二が、拍手を送る。

「ついでに言うと、ここまできたら全員引き込もうという魂胆か?」

呆れたような声で、不二に声をかける。

「話が早くて助かるよ」

そう言って、不二が見せたものは女物の着物と、男物の着物。

「華は二人いたら充分じゃないか?」
「先輩」

女物の着物は間違いなく、乾の隣の海堂に着せようとしてもの。
それに気づいた乾が牽制し、それに海堂が嬉しそうな声を出す。

「あれ?乾、かおちゃんの女装見たくないの?」

乾なら、絶対にのると思ってたのに〜
と、呟く菊丸に

「俺は、狭量なんだよ」

見るなら、二人っきりの時にするよ。
と返した。
ま、ようするに女物の着物を着た海堂を、他の奴に見せる気はない。
と、言ってるわけだが
そんな言葉が不二に通じるわけなく。

「乾が嫌がっても、海堂が着るって言えば問題ないんだよね」

と、にこやかに微笑んで海堂に近づいた。

「…俺は、どっちかっていうと…」

着たくないんですが…
1歩後ろに下がりながら、言いよどむ海堂の腕を不二が掴む。

「おい、不二」

乾が助けようとするが、不二が開眼して見つめるもので、一瞬引いてしまう。

「海堂が女装したら、堂々と乾とイチャつけるよ?」
「え?」
「乾、今日もさコンタクトだし、この上に、着物着るんだよ。きっと、似合ってて格好いいと思わない?」
「…思うっす」

誘導尋問のように話す不二。
周りの面々はその姿を見守るばかり。

「そんな乾が店に出るんだよ、想像してみなよ」

きっと、女子学生や若奥様たちから熱い視線を浴びるの間違いないよね〜
なんてことを不二がのたまうものだから、どんどんと海堂の目つきが剣呑なものに変わっていく。

「でさ、同じように男物の着物を着てる海堂は、それを我慢するしかない」

辛いよね〜

「でもね、考えてみなよ。海堂がもし、女物の着物を着てたら、皆、海堂が女性だって思うでしょ」
「…たぶん」
「ならさ、海堂が乾にひっついて乾にくっついてくる虫を排除したって問題ないんだよ?」

自分は乾の恋人だって、堂々としてられるんだけどな?

「……」

不二の言葉に何か考えてる海堂。

「おい、海堂」

嫌な予感を覚えて、乾が海堂を呼ぶ。
が、

「俺、コレ着ます」

海堂は不二が持ってる女物の着物を持って、乾に向き直る。

「海堂がそう言ってるから、問題ないよね?」

海堂と不二、二人に言われ、

「わかった、好きにしろ」

諦めたように乾が折れた。
この勝負、不二の作戦勝ち。

「手塚、来たよ」

不二が海堂を丸め込んでる間に、チャイムが鳴り、そちらに行っていた河村が手塚を引き連れてくる。

「話は聞いた、ご馳走になったりしているからな、協力しよう」

来る途中に河村に事情を聞いていた手塚が、居間に入って答える。

「じゃ、全員揃ったところで準備を始めようか」

しきる不二に、全員頷く。

「じゃあ、大石は店の準備手伝って」
「わかったよ」

不二の言葉に、大石は店に向う。

「手塚はコレに着替えて。終わったら、手伝いに向って」
「わかった」

渡されたものに、一瞬、眉を顰めるが頷いて受け取る手塚。

「乾は、着替えたら僕らの用意」
「は?」
「乾、着付け出来るでしょ」
「一応な」

大体のことはこなせる、乾。

「僕ら出来ないからさ、タカさんと二人で手伝ってよ。後、化粧」

女装する以上は完璧にが不二のモットーらしい。

「了解」
「だから、英二と海堂は準備して待ってて」
「海堂、出来るぞ」
「俺、自分で出来ますよ」

不二の言葉に、乾と海堂が同時に声を出す。

「え?本当?」
「はい、母がそういうの好きなんで」
「海堂のお母さんって、何でも出来るからな」
「そうなんだ。じゃあ、海堂は着付けは自分でしてね」
「…ウス」
「じゃ、俺は菊丸の着付けを先にするか」

ほっといたら煩いだろうしな。
話はまとまり、河村が不二の着物を、乾が菊丸の着物を、海堂は自分で着付けることになった。

「着物って、苦しいにゃ〜」
「我慢しろ」

ギュウギュウに帯を乾に締められ、苦しそうな声を出す菊丸。
対して乾は冷たく返答する。

「確かに、ちょっときつよいね」
「ゴメンネ、着物は少しキツメがいいんだ」

不二が苦しそうな声をするのに、河村は謝りながらも締め付ける。

「あ、部長。ちょっとだけ引っ張ってもらっていいすか?」
「ああ」

やはり自分でするには、少々、力の加減がしにくく、丁度、着替え終えた手塚に声をかける。
この二人、乾の親友と恋人という関係にいるせいで、周りが気づかないうちに仲良くなっていた。
といっても、どちらも寡黙なほうなので、仲良くしてる姿自体、あまり見ないので気づかれることがないだけなのだ。
因みに、この二人で話すと決まって乾の話題になる。
お互い、自分の知らない乾を知っているので、情報交換をしているらしい。
少々、悪戦苦闘しながらも何とか女装組の着付けが終了。
三人というか、不二と菊丸がヘバッて倒れこんでるうちに、乾が自分の着替えを済ます。
河村、手塚の二人は大石に続いて、店の手伝いに行こうとした…のだが

「手塚は、ここに残ってろ」

と言う乾の言葉に、手塚は残留していた。
理由は簡単。
手塚に手伝いなどさせたら、どうなるかわからないからだ。
不二と乾がここにいる以上、誰も手塚を止め、フォローを出来る人間が向こうにはいない。
店が開く前に、片付ける羽目にはなりたくなかったためであった。

「さて、菊丸から始めるか」

着替え終えて、河村から借りた河村の母親の化粧道具を片手に菊丸を正面に呼ぶ。
一番最初に菊丸を選んだ理由は、さっきと同じ待たせると煩いから。
向かいに座った菊丸の顔を持って、器用に化粧を施していく乾。
周りで見ている三人は簡単の息を吐いていた。

「後は髪だな」

化粧を終えて、乾が菊丸の髪を掴み括る。
外ハネにしてる髪を片方ずつ頭の上のほうで括って、オレンジのリボンで結ぶ。
ヘアピンも用意して、落ちてきそうな髪を止めていく。

「終わりだ」

手鏡を菊丸に渡す乾。

「英二、可愛いよ」
「へ〜、乾ってこんな才能もあったんだにゃ〜」

鏡に映る自分の姿にご満悦な菊丸。
そこには、どうこから見ても可愛い少女が映っていた。
さながらそれは、時代劇に出てくる町娘といったところだろうか。

「大石に見せてくるね〜」

パタパタと走っていく菊丸。

「次は、不二」

全員、それを苦笑で見送ってから、次に不二に化粧を施していく乾。
化粧し終えて、不二の髪にも手を伸ばす
少し長めの髪を、両サイドを少しだけ残して流し、残りを後ろで一つにまとめる。
菊丸の時と同じように、落ちてきそうな部分をヘアピンで固定し、ピンクのリボンを巻く。

「終わり」
「凄いね、乾」

鏡を見て、感心する不二。
艶やかに微笑む少女がいた。

「これなら、若女将でいけるね」

タカさんに見せてこよ。
嬉しそうに店に向う不二を見送って、最後は海堂の番。

「本当に、これで店に出るの?」
「出ます」
「仕方ないな…」

やはり、まだ諦めきれてない乾が海堂に聞くが、海堂ははっきりと言い切る。

「じゃあ、始めようか」
「はい」

苦笑を浮かべて、海堂にも化粧を施していく。

「髪、どうしようか?」

海堂の髪はリボンを結ぶには短すぎる。

「別に、このままでいいっすよ」
「でも、折角、海堂に似合いそうなリボンがあるのにな」

淡いブルーのリボンを手に、乾は海堂の後ろに回る。

「先輩?」

そして、海堂の後ろ髪に器用にリボンを編みこんでいった。(普通は出来ません)

「終了」

出来た姿を、さっきの二人と同じように見せる。

「ど?」
「俺?」

鏡にうつっていたのは、おしとやかな少女で

「どっかの姫様って感じだな」

と、化粧をした本人がご満悦だった。

「乾、終わった〜」
「そろそろ、開店だよ〜」
「わかった」

丁度、化粧道具などを片付け終わったところに、店から声がかかる。

「さ、行くか」

最後まで残っていた海堂と手塚に声をかけて、彼らも店に出る。


「すまねぇな」
「いいえ、いつもご馳走になってるんですから、これくらいはさせてください」

全員揃ったところで、河村の父親が口を開く。
謝ってくる河村の父親に、手塚が返し、他の面々も頷いている。

「さ、じゃあ開店の時間だから」
「今日、一日頑張るにゃ〜」
「取り合えず、乾とタカさんはタカさんのお父さんの手伝い」

ようするに、料理担当ということ。

「了解」
「うん」

不二の言葉に、河村・乾の二人がカウンターの奥に入る。

「で、海堂と手塚が中の手伝い。乾、よろしくね」

ていよく、手塚を押し付ける不二。
その言葉に、乾が苦笑する。

「うっす」
「わかった」

言われた二人の、河村・乾に続いてカウンターの奥に入っていった。

「で、残りの僕たちがお客さんの相手ね」
「オッケ〜」
「頑張るよ」
「じゃあ、そろそろ時間だな」
「では、本日一日、頑張っていこう」
「「「「「「オー!!」」」」」」

最後の手塚に締めで、店が開けられる。
大石と菊丸でのれんをかけ、不二が定食メニューの看板を出す。
ほんの数分で満杯になった店内。

「寿司定、二人前ね」
「フライ定食に、天麩羅定食、一つずつ」
「こっちは、刺身定食一人前に焼き魚が三人前」

一斉に入ってきた客の注文を聞いてきた三人が、ほぼ一斉に答える。

「え〜、寿司が2で…」

同時に言われ、整理しながら確認する河村に

「焼き魚も2で、残りが1ずつだな」

一回で正確に聞き取れた乾が後を引き継ぐ。
同時に、揚げ物担当のため、手際よく、天麩羅とフライを揚げ始めた。
調理のほうは、河村の父親が寿司を担当。
河村が焼きと刺身。乾が揚げ物全般。

「海堂、お茶ついで。手塚は茶碗出して用意しといて」
「はい」
「ああ」

で、手塚と海堂がそのサポートとご飯よそったり、味噌汁よっそたりという細かな作業に入っていた。
手際の良い、調理担当の三人に対し、サポート側は、

「寿司定あがり」
「菊丸先輩、お願いします」

河村の父親が握り終えた寿司と同時に、ご飯と味噌汁をよそい終えた海堂が、目の前を通りかかった菊丸に渡す。

「海堂君は、手馴れてるね」

出来上がった定食にあわせて、ご飯や味噌汁をよそっていく海堂に、河村の父親が感心したように声をかける。

「家で、手伝ってるっすから」

それに照れてるのか、そおぽを向いてボソボソと答える海堂。
その横では…

「乾、皿に盛らんのだが…」
「手塚、野菜入れすぎ!!これじゃ、どれがメインかわからないだろう」

乾の揚げていった天麩羅やフライを皿に飾りつけていく手塚の手際の悪さに、乾が辟易していた。

「不二、手塚と変われ!!」

手塚の面倒を乾一人で見てるために、揚げ物だけが出来が遅くなっていて、乾の言葉に不二が中に入ってくる。

「仕方ないね。大石、手塚に接客教えてあげてね」
「あ、ああ…」
「海堂、乾を手伝ってね。僕がタカさんたちのほうに入るから」
「うす」

手塚を外に出し、場所を入れ替えた不二と海堂。
その後、調理場のほうはとても順調に行った。

「先輩」
「ん?」

手塚と違い慣れた海堂には教える必要もなく、せっせと揚げるのに専念できる乾。
サクサクと揚げていく乾を見つめながら、海堂が呟く。
既に、乾が揚げ終えたものの処理は済み、客の前に出されていた。

「汗…」

揚げ物担当が一番熱い場所にいるせいで、乾の顔には汗がにじんでいた。

「サンキュ」

それに気づいた海堂が懐に忍ばせておいたハンカチを出して、乾の汗を拭っていく。
途端、ザワめく店内。
寿司屋のように調理場が丸見えである以上、乾や海堂たちの姿に客には見えてるわけで、ひっそりと狙っていたらしい男の客や(海堂狙い)女の客からのざわめきだった。
勿論、他のレギュラー陣たちを狙っている客たちは、大石・菊丸のイチャつきながらも接待に涙を飲み、レジの際に不二にいいよって、

「主人がいるから」

と笑顔で、河村に抱きついて言われ、泣いて帰っていた。
ようするに、現在、この見た目だけはいい店員たちの間で狙えるのは、手塚と乾と海堂だけになっていた。

「なんだ、騒がしいな?」
「…っすね」

直接、客の相手をしてない二人は、流石にその事実に気づいてなく、二人で不思議そうに顔を見合わせる。

「乾〜、俺と交代して〜」

そこに菊丸がヘトヘトになって入ってくる。

「も〜、手塚のフォローしながら、接客すんの疲れたにゃ〜」

こんなんなら、料理してるほうがマシ!!
そう言って入ってきた菊丸に、乾は苦笑を浮かべる。

「やっぱ、手塚のフォローは乾の役目じゃん」
「勝手に決めるな」

片手で菊丸の頭をコツンと叩いて、菊丸に箸を渡してカウンターの外に出る乾。

「んじゃ、薫ちゃん頑張ろうね」
「…はい」

ニッコリと笑いかけられ、咄嗟に返答した海堂だった。
菊丸の揚げていったものを、器用に盛り付けていく海堂。
けど、彼の視線は常に一定の方向に注がれていて…
格好いいよな…
着物姿なんて初めて見たけど、凄く様になってて似合う。
テキパキと揚げてる姿も格好よかったし、そうやってお客の相手してるのも格好いい。

「ほんと、何しても様になってるよな」
「へ?何か言った?」
「え?いや、何も…」

ポツリと呟いた言葉に反応した菊丸に適当に言葉を濁す。
でも…
ムカツクんだよ、あいつら!!
カウンターの向こう、遊びんでる途中の女子高生たちが注文を取りにいった乾を離そうとしないのを見つけて、イライラしてくる海堂。
相手は客なだけに邪険にすることも出来ずに、困ったような顔で相手する乾は、背中に強烈な視線を感じて冷や汗を流していた。

「菊丸先輩」
「うにゅ?」

海堂から発せられる怒りのオーラに菊丸がすくみ上がる。

「大石副部長と変わってきます」
「そう?頑張ってね」

凄い勢いで大石と入れ替わって外に出た海堂に、怯えながら手をふる菊丸。

「英二?」
「大石、怖かったにゃ〜」

無理やり、入れ替わらされて入ってきた大石に、菊丸がしがみつく。

「わかった、わかったから、ちゃんと揚げような英二」

英二の頭を撫でながら、目の前の油の中に入ってる海老を見る大石。
もうすぐ上げなければ、間違いなくおじゃんになってしまうだろう。
そして…

「茶だ!!」

不二に渡された入れたてのお茶を乾が捕まってる座敷のテーブルの上にドンと置く。

「きゃっ!!」

勢いよく置いたので、中から零れたお茶に驚いた女子高生たちがバッと離れた瞬間、乾の腕を掴んでそこから引き離す。

「何すんのよ」
「熱いでしょ」

乾をカウンターまで引き離した後、布巾を持ってギャーギャー喚く女子高生たちのテーブルに向い、サッと零れたお茶を拭く。

「スンマセンっした」

キッといつも以上にするどい視線で睨みつければ、ヒッと小さな声をあげて黙りこくる女子高生。
ウシ、勝った!!
ギュッと手を握ってひっそりガッツポーズを決めれば、乾に見咎められて

「薫、客睨んじゃダメでしょ」

苦笑されながら呟かれた。

「海堂、まだまだ甘いよ」
「それじゃ、まだ諦めないよ」
「「ああいうてらいは、徹底的に叩きのめさないと」」

と、笑顔の裏で物騒なことを念じてる二人の声が聞こえたのか

「でも…」

乾の袖をそっと掴んで、擦り寄って上目遣いに見つめてくる海堂。

「…もうしないようにね」

その可愛らしい姿に、乾の眦も下がってしまう。

「はい」

しおらしく返事して、そっと乾に気づかれないように座敷に座って、こっちを睨む女子高生を見て

「オマエラニ、ハイルスキハネェヨ」

と、口だけ開いて、鼻で笑った。

「「よくやった海堂(薫ちゃん)」」

その様子をきっちり見ていた菊丸・不二も心の中でガッツポーズをしていた。

「「ゴメンね(な)、乾。すっかり不二(英二)に感化されてて…」」

恋人たちの不穏な空気と海堂の様子に、胃を痛める河村・大石。

「すっかり、あの二人に感化されてるな」

溜飲を下げて、困ったように笑った乾。

「ふむ、海堂もすっかりたくましくなったな」

青学の父はやはりどこかズレていた。
無愛想な海堂・手塚のフォローをしながら店内を動き回る乾。
海堂と威嚇しあっていた女子高生も帰り、ホッと一息ついた頃、新たに男子校生の団体が入ってくる。
丁度、手塚と乾が話しこんでいたため、海堂が注文を聞きに行く。

「ご注文は?」

ニヤニヤと自分を見上げる男子校生たちに、胸くそわりいとか思いながら、頑張って引き攣った笑顔を見せる海堂。

「君」
「は?」

うち一人が、楽しそうに言った言葉に、海堂があっけに取られた顔をする。

「だからね、君って言ったんだよ」
「客の相手が仕事でしょ?」
「俺らの相手してよ」

嫌な笑みを浮かべて、海堂の腕を掴む男子たちに、段々と気分が悪くなってきた海堂が殴ろうかなとか思ってるとき、

「うちは寿司屋で、店員は売りもんじゃないんですよ」
「っ…」
「乾先輩」

海堂の腕を掴む男の腕を海堂から離して、掴みあげる。
ニッコリとゾッとするほどの笑みを浮かべて、淡々と話す姿に男子校生たちの肝が冷える。

「俺が彼らの相手するから、薫は他の客の相手して」

さっきとは全く違う優しい笑顔で海堂に向き直る。

「はい」
「不二、このお客さんたちに、とびっきり美味しいお茶、用意してあげてくれないか?」

他のテーブルに行った海堂を見送って、不二に話しかける。
その際、こっそりと目配せしたのに気づいたのは、三年レギュラーたちだけだった。

「わかったよ、乾」

乾の言葉の意味を理解した不二が中に入っていく。
しばらくして、人数分の湯飲みを持ってきた不二を乾が手伝って、テーブルの上に湯飲みが並ぶ。

「どうぞ、ごゆっくり」

少し離れたところで、不二と二人して乾が傍観する。
掴まれた腕を摩りながら、口をつけようとする男子校生たち
全員、揃って一口飲んだ瞬間…

「グェっ」
「うっ…」
「ウギャ〜」

などと、数々の悲鳴とともに沈没していく。
その様子に興味を覚えた菊丸が

「大石、ちょっと持ってて」

菜ばしを大石に渡して、テーブルに近づいて湯飲みを見る。

「ゲッ…」

湯飲の中、本来の緑茶よりもどう考えても緑のきつい、妖しい湯気の出るソレ。

「野菜汁じゃん」

青ざめて、バッと湯飲を置いて半泣きになりながら、元の場所に戻る菊丸。
菊丸の言葉に、あの不味さを思い出したレギュラーたちの表情も青くなる。
なんで、そんなものがここに?
不二・乾以外のレギュラー全員の心の叫びだった。
沈没した客を、適当に乾が放り出してまた、店内は穏やかに戻る。
ただ、一部始終を見ていた客は、この格好いいお兄ちゃんだけは怒らせるまいと心に誓っていた。

「ったく、人の姫に手を出すとはいい度胸だよな」

海堂の男子校生に掴まれた腕を持って、消毒と唇を押し当てながら呟く乾。

「薫、お前は女の子の集団か、家族連れだけ相手してなさい」
「……」
「わかった」

まだ、怒ってるらしくどこかそっけない乾の言い方に

「…はい」

嬉しそうに海堂がはにかんで返事した。


乾のこの行動が効をなしたのか。その後は順調に行き、無事、昼の定食の時間が過ぎた。
定食が終われば、次の夕方過ぎまでは暇になり、客足も途絶え、全員、座敷に座り込む。
中には寝転んでるものもいた。

「疲れた〜」
「流石にしんどいな」
「へとへとだにゃ〜」
「皆、有難う」
「気にするな」
「いつもの礼だよ」

グッタリと壁に凭れかかったり、寝転んだり、テーブルに突っ伏したりとしながら話していく面々。

「今日は本当に有難うな、今すぐ、上手い昼飯作ってやっから」

まだまだ元気な河村の父親が、カウンターの向こうから叫ぶ。

「やったー」
「腹減った〜」

と、その声に歓喜の声をあげる、メンバーたち。
そのとき、

「タカさん、何か食わせてくださいよ〜!!」

大きな声とともに店に桃城が入ってくる。

「腹、減ったっす」

続いて、越前も入ってきた。

「桃、越前、どうしたの?」

声に気づいて河村が桃城たちに話しかける。

「それが、遊んでるうちに金なくなったんすよ」
「ゲーゼンで金、使い果たしたんすよ」
「そこまで言うことねぇだろ、ねぇよな」

越前のバラされて情けない声をだす桃城。

「事実でしょ」

冷たい越前の声がふりかかる。

「仕方ないな桃は…」

苦笑しながら、いいよと言おうとした河村の声に

「働かざるもの、食うべからずって言うよね」

という、不二の言葉が重なる。

「不二先輩」
「どうしたんすか、皆、揃って?」

不二の声に驚いて、座敷を見た二人がより驚く。
そこには残りのレギュラーたちがいたからだ。

「タカさんとこの手伝い」

大石が、桃城の言葉に答える。

「桃!!俺らはな、あくせく働いて、タカさんとこの昼食が食べれるのに、一人、何もせずに食えると思うにゃ!!」
「それって?」

菊丸の言葉に、嫌な予感を覚える桃城。

「そうだな、俺らの昼飯を桃が作るってのでどうだ?」

乾が一つの提案を出す。

「げっ!!」

嫌そうな顔で答える桃城。

「ふむ、働かざるもの食うべからずというしな、やれ桃城」
「部長〜」
「大丈夫、河村の親父さんに教えてもらいながら作れば、お前でもまともなものは作れるだろ」
「全然、大丈夫じゃないっす」

乾の言葉に、がっくりと項垂れる桃城。

「桃先輩、頑張ってください」

我関せずと座敷に向う越前。

「越前、お前も少しは手伝え」

桃城の虚しい響きだけが、河村寿司に木霊した。


ある日の、休日の昼下がりのことだったとさ。

Fin