勝者のホワイトデー



シャカシャカと小気味いい音が響く。
実に手馴れた手つきで、乾が小麦粉をかき混ぜていく。
本日、13日、ホワイトデー前日。
キッチンに並べられた器具と材料。
楽しそうに、鼻歌なんか歌いながら乾がテキパキとある物を作っている。

「楽しそうだな」

カウンターの向こう、リビングのソファに座って本を読んでいた手塚が呆れたような声を出す。

「そりゃあね」

手を止めずに、ボールを抱えたまま、乾が後ろを振り返る。

「あの子がさ、どんな顔すんのかと考えたら、自然と楽しくなるって」

きっとキョトンとした顔でこれ見つめてから、照れて真っ赤な顔を隠すように俯いて……
簡単に想像できる、可愛い後輩兼恋人を思い、知らず笑みが零れる。

「…いいことじゃないか」

いつもの嫌味な笑みでも、含んだ笑いでもない素のままの笑みに、手塚が溜息交じりに呟く。
素の自分を隠して、周りの望む自分を演じ続ける親友の昔を思い出す。
こんな笑い方、今まで見たことなかったんだがな…
この親友をこんな風に笑わせることの出来る、一つ下の真面目な後輩の姿が浮かぶ。
初めて会ってから今まで、一度も見たことのない親友のそんな笑顔に、たった一人、苦もなくそれが出来る後輩に少し悔しさがこみ上げる。
結局、自分では彼の心を救えなかったことに……
それでも、あの子といるときの乾が一番いい表情をすることを知ってるから。
大事な親友がとても幸せそうに笑っているのなら、祝福出来た。
だから、吐いた溜息は呆れなどではなく、安堵によるものだった。
彼が、人間らしい感情を持ってくれたことへの。

「そう?明日、喜んでくれるかね?」

手塚の言いたいことがわかったのだろう。
乾は照れたように笑う。
彼は気づいていない。
乾が恋人の前だけでなく、たった一人の親友である手塚の前でも素であることに。
いつもの無表情の淡々とした口調で、データマンと言われる乾 貞治ではなく、年相応の15歳の子供の顔をする乾 貞治がここにいる。

「喜ぶに決まってるだろ。お前に、そこまでさせれたなら」

乾の言葉に、口元を緩める。
フッと吐かれた息。
それは溜息か、それとも微笑によるものか……


ホワイトデー当日。
柄にもなく、ドキドキする自分がいて苦笑してしまう。
折角、あれだけ見事なバレンタインをしてもらったのだから、演出も考えて、こうして待ち伏せしてるわけだが。

「俺のデータでは、そろそろ通るはずなんだが…」

腕の時計に目を通して、彼の生活パターンを思い出す。
生真面目な性格をしてるから、休みの日であっても彼が生活習慣を変えることはない。
いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じメニューをこなす。
どうあっても自分には出来ない芸当に、いつも頭が下がってしまう。
練習ははっきり言えば、あの子に渡したメニューの二倍以上をしてるわけだが、する時間はマチマチだ。
あまり人に悟られるのも嫌なのもあって、どうしても誰にも見つからない時間にしてしまう。
その上、夜型なこと相まって、練習は大抵、普通の時間よりやけに早いか遅いかになる。
それでも、毎日欠かさずにしてるのだから、まだ褒められたほうだろう。

「おっ、きたな」

規則正しい足音が聞こえて、乾が反応する。
いつも同じペースで走る彼の足音は、既に乾には聞きなれたものになっていた。

「さてと…」

後もうすぐで、あの子がそこの角を曲がって姿をあらわす。
それを知って乾がそっと木陰に隠れる。

「どういう反応するんだろうな…」

そう呟きながらも、既にお得意のデータの中にそれは入ってるのか、楽しそうにククッと人の悪い笑みを浮かべた。

「ふしゅ〜ぅ」

乾が隠れてる間に、海堂がロードワークの終点になる公園に着く。
お決まりの息を吐いて、簡単にストレッチを始める。
体をほぐさずにすぐ休憩するのは体によくないと、言われているからだ。
ストレッチが終わると、海堂は水道に向かう。
そこで、バンダナを外し、水を頭から被る。
程よく冷たさを感じるようになって来た頃、顔をあげると……

「ポッキー?」

目の前につぶつぶ苺ポッキーが一本浮かんでいた。

「Hold Up」

ポッキーの先が目の前に突きつけられ、すぐ後ろから楽しそうな声が聞こえてくる。

「乾先輩!!」

海堂が驚いたような声をあげて振り返る。

「やあ」

そこには口元に笑みを敷いた乾がたっていた。

「何やってんすか?」
「手を上げろ」

ポッキーをくるくると回して、楽しそうな乾にはぁ?と不思議そうにしながらも、言われたままに手を上げる海堂。

「これじゃ、食べれないよね」

素直に手をあげた海堂を見て、目を細める。
今日はいつもの分厚い眼鏡をせずに、コンタクトにしてるらしく、いつも隠れてる乾の素顔が惜しげもなく曝されていた。

「だから、俺が食べさせてあげよう」

はいと目の前のポッキーを差し出されて、躊躇する海堂。

「何が、だからなんすか」

ふぅと溜息を吐いて、仕方なさそうにポッキーを食べる。

「美味しい?」

全部食べ終わると、乾が嬉しそうな顔して聞いてくる。
何だか、やけにはしゃいでないか?この人……

「美味いっすよ?」

何かあるんだろうかと、乾を窺うと、乾は心底嬉しそうに破顔する。
そう滅多にみれないその笑顔に、海堂の顔が瞬時に赤くなる。
絶対、反則だ。
俺の好きな素顔で、そんな笑顔……

「よかった。それ、俺の手作りなんだよ」
「はぁ?」

嬉しそうな乾の言葉に、海堂は素っ頓狂な声をあげる。

「先輩が作ったんすか?」

乾の料理の腕前は知っていても、流石にこれは俄かには信じがたいものがある。

「そ。昨日、手塚に呆れられながら作ってたんだ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」

手塚の名前が出てきた以上、信じないわけにはいかない海堂。
流石の乾も、わざわざ嘘つくのに親友の名前まで出さないだろう。
lこれが不二あたりなら、絶対に疑うのだが……

「器用っすね」
「そう?」

普通、こんなもん作らないだろう。

「でもね、海堂きちんと見てなかっただろうけど、流石に売ってるのそっくりにはいかないよ」

苦笑してみせる乾に

「じゃ、また見せてくださいよ」

わざわざ、あれ一本しか作ってないことはないだろうと思って海堂が言う。

「見たい?なら、うちに来ないと」

残りは全部、家に置いてきたんだよね〜
凄く楽しそうに手を家のほうに向かせる乾に、海堂は嵌められたと思った。
でも、乾の家に行くことは嫌じゃないので、本当は嬉しいけど、それを隠して仕方ないという感じで乾の家に向かった。


「お邪魔します」
「はい、遠慮なく入って」

ドアを開けて、海堂を促す。

「俺の部屋に置いてるから」

先、行ってて。
そう部屋を指して、リビングに向かう乾。
その姿を見送って、海堂は乾の部屋に向かった。
乾の部屋に入ると、乾の言ってた通りに机の上にコップに入れられたポッキーがあった。

「…すげぇ」

ポッキーはさっき食べたつぶつぶ苺だけでなく、普通のチョコや抹茶の三種類が色とりどりに入っていた。
海堂はいつもよりちょっと表情を明るくして、コップを持って乾のベッドに座る。
いつもは世間ごとに疎い海堂でも、今日がホワイトデーであることは気づいていた。

「どう?」

瞳を輝かせて、全種類食べていると、乾がカップを二つ持って入ってくる。

「これだけ出来たら、上出来っすよ」

確かに、売ってるものよりは少々不恰好だけども、十分、売り物になるほどの出来栄えだった。

「有難うございます」
「へ?」

カップを机の上に置いて、乾も海堂の横に座る

「コレ、お返しでしょ?」
「あ、気づいてた?」

乾の言葉に海堂がコクンと頷く。
とても楽しみにしていたのだ。
約束はしてなかったけど、きっと先輩が逢いに来てくれるって。

「どれも凄く美味しかったです」

一通り食べ終えた海堂がそう感想を口にする。

「でもね、もっと美味しくなるんだよ、これ?」

知ってる?
そう聞いてくる乾に、知らないと素直に答える海堂。
目の前の乾の何だか何か企んでいそうな瞳に、少し後悔する。

「こうするんだよ、はい」

海堂の手の中のコップから一本取り出して、海堂に差し出す。

「やっぱりさ、自分で食べるより、こうして食べさせてもらうほうがおいしいって」

なっと、片目を瞑って見せる乾に、海堂の心がトクンと一つ跳ねる。

「そうっすか?」

それを隠すように、ついぶっきらぼうな口をきいてしまう海堂に、乾は

「俺は海堂の手から食べたほうが美味しかったけど」

とサラリと言ってのけるから、海堂の顔が朱に染まる。

「そ…そうですか…」

モゴモゴと口籠る海堂。
楽しそうに目を細めている乾をチラッと見て、ふと思いつく。
俯いて乾に見えないように笑って、ポッキーを食べ始める。
最後まで食べたところで、乾は手を自分のほうに引こうとする。

「海堂?」

それを、ガシッと海堂が掴んで引き戻す。
返事をせずにチラッと一瞬だけ乾と視線を合わせて、乾の指を銜える。
誘うように乾の指を丁寧に舐めあげれば、頭上から息を飲む音が聞こえる。

「あれだけじゃ、足りないんすけど」

上目遣いに見上げれば、さっきまでとは違う意味で楽しそうな乾と目があう。

「ポッキー同士で、丁度よくない?」

海堂が何を言いたいのか理解していながら、乾がわざと意地の悪いことを言う。

「…なら、いいです。帰ります」

けれど、本日ホワイトデー。
乾が海堂に与える日であるせいか、海堂のほうが強かった。
すっと指を離して立ち上がろうとした海堂の腕を乾が引っ張る。

「嘘。嘘です、ゴメンナサイ」

バレンタインでは、他にもたくさん頂きました。

「わかればいいんですけどね」

引っ張られた勢いで、乾の腕の中に納まった海堂が、やれやれと言いたげに呟く。

「何でも好きなものあげるから、泊まってくだろ?」
「ものによります」

乾の腕の中から抜け出して向かい合う。

「何が欲しい?」
「わかってるくせに」
「俺は自惚れてもいいのかな?」

乾が手を差し出す。

「自惚れる必要なんかないでしょ」

その手に自分の手を重ねる。

「俺はずっとあんたのもんなんだから」

緩く引かれる腕に逆らわずに、もう一度、その体に飛び込む。

「俺が欲しいものなんて、この世に一つしかない」

すっと海堂の手が乾の頬に伸びる。

「くれるでしょう?」

柔らかい微笑を零して、乾に自分から口付ける。

「これじゃ、俺が貰ってるみたいだな」

きっとお前よりも、俺のほうが喜んでる気がする。

「俺を嬉しがらせてどうすんだよ」

今日はホワイトデーでしょ。
苦笑しながら口吻を受け止める乾に

「いいんですよ。あんたが嬉しいんなら、俺も嬉しいんだから」

滅多に見せない笑顔を浮かべた。

「ほんと、海堂には敵わないな」

バレンタインに引き続き、本日も負けてしまったくせに、どこか嬉しそうな乾に、

「俺のほうがあんたには敵わねぇよ」

勝者の心のこもった口吻が贈られた。


あなたから貰うものなら、どんなものでも嬉しいけど。
本当に、心から望むものは一つだけ
今までも、これからも変わることない
世界中を敵に回しても怖くないくらい大好きな
たった一人の愛しい人

Fin