乾のデーターノートには皆のことだけでなく、乾本人のデーターも書かれているらしい。
「マジっすか?」
「らしいよ、僕もあの中は見たことないから、確証があるわけじゃないんだけどね」
そんな噂がまことしやかに流れ始めて、はや数日。
噂というものにほとほと疎い海堂の耳にも、ようやくそれが入ってきたらしく、海堂はそれをよりにもよって不二に確認にきていた。
よっぽど、その噂に動揺しているのだろう。
不二に相談なんかしたら、どうなることか考えればわかっただろうに……
「確実なのは、本人に聞くことだと思うよ」
「でも、教えてくれますかね?」
「海堂にならちゃんと答えてくれるよ」
そう言う不二の言葉を、何故かこの時ばかりはすっかり信じ込んでしまった海堂は、そのまま、乾の元へと向かっていった。
「乾先輩」
「ん、どうした海堂?」
部活前の部室、着替えてる途中の乾を呼び止め、傍に寄る海堂に、乾は着替えながら視線だけを海堂へと送る。
「その…先輩のノート…」
「これ?これが何?海堂も大石みたいに遠慮したいか?」
「いえ、そうじゃなくて…」
乾の言葉に慌てて首を振る海堂だったが、内容が内容だけに恥ずかしいのか、口籠ってしまう。
「海堂?」
「あの…その…」
「ん?」
「それ…先輩の…こと…も…」
「俺のこと?」
「書いて…るって…」
何とか声を絞り出して伝えたものの、最後のほうは蚊の鳴くようなか細い声だったので、海堂は聞こえただろうかと不安そうに乾を見上げれば、乾は顎に手をあてて、何やら考えてるのか動かない。
「…先輩?」
「うん?あ、ああゴメン」
「いえ、で…」
「コレだよね、一応、書いてるよ」
桃と菊丸が書いた分だけどね。
と続く言葉は、口にせずに飲み込んで、海堂に答える。
「そうっすか」
「それで、それがどうかした?」
「な、何でもないっす。俺、行きます」
疑問が解けてホッと海堂に、今度は逆に乾が問いかけてくるが、海堂は慌てて首を振って、詳しく聞かれる前にと乾の前から逃げ出した。
「本当、可愛いな〜」
そんな海堂を見送った乾が、部室でクスクスと可笑しそうに笑いながら呟いた一言に、偶然にも部室に残っていた部員たちが、一様に不可解な表情を見せていた。
曰く、あれを可愛いと言う部類にいれるのは、おかしいだろう。ということらし。
「さてはて、海堂はノートに俺の事が書いてるとして、何がしたいんだろうな」
部室を出る前に、愉しそうに呟かれた乾の言葉に、やっぱり残っていた部員たちが、凍りついたのは言うまでもなかった。
部活も始まり、乾も海堂も部活の前のことを忘れたかのように部活に打ち込む。
その部活の何事もなく終り、あの部室を出る前の乾の呟きを聞いていたものは、何もなくてよかったとホーッと深い深い溜息をついて、部室へと戻っていた。
だが、彼らの考えは甘かった。
そう、それは部活が終ってから始まったのだった。
「乾、ちょっといい?」
「不二か、どうかしたか?」
部活終了後、部室へと帰ろうとしていた乾を不二が呼び止める。
そして、そのまま乾は不二と連れ立って何処かへ行ってしまった。
「チッ、2人っきりで何処行くんだよ…」
それを不満に思うものが一人、海堂だ。
海堂は内容云々よりも、不二がというか、自分以外の誰かが乾を連れて何処かに行ってしまったことが、不満で、後をつけようかとしていた。
「ん?これ…」
が、コート横のベンチの上にポツンと置かれた、乾のデーターノートに気付いた海堂はそのまま立ち止まってしまう。
「そういや、これに先輩のこと…」
部活前に、乾に確認を取ったことを思い出した海堂。
もう既に思考はノートに向かっていて、海堂は不二と乾が連れ立ってどこかに行ったことを忘れ去っていた。
思い出していたら、まだ少しは未来が変わっただろうに……
「す、少し位ならいいよな?」
部活前の乾との会話。
この中に、乾のことが書いてある。
海堂は乾の事が好きで、好きで、自分も乾のようにもっと、乾のことを知りたい・わかりたいと思うのだが、自分は乾のように観察眼もないし、そんな性分でもない。
その上、乾は自分を隠すのが上手いときていて、海堂は少しも乾のことを知ることが出来ていないと思っていた。
そんな時に聞いた、噂。
それを確認したら、その通りだと言われ、海堂はどうしてもこのノートの中の乾について書かれていることが見たかった。
「先輩が書いたものなら、確実だし…」
そっと、ベンチの上のノートに手を伸ばす海堂。
勝手に見ることはいけないことだとわかっているが、それを止めることが出来なかった。
「先輩のページは…」
他のページには目もくれずに、パラパラと捲くっていく海堂。
この中の選手のデーターを見て、弱点を見つけようとか言う気はないらしい、というよりは、そんなことは今の海堂にとってはどうでもいいのだろう。
「あった…?」
捲ってるうちに、ようやく見つけ出した乾のページ。
そこには、どう考えても乾ではない人間の筆跡のふざけた乾のデーターと似顔絵が描かれていた。
「何だこれ…」
それは、菊丸と桃城が面白がって書いた落書きで、海堂が求めていたものは一つも書かれているわけなかった。
「ふ、ふざけんなー」
あのバカコンビ…
この場合、本当なら海堂の言いたいことをわかっていながら、これのことをあると言い切った乾に対して怒るほうが妥当じゃないかと思うのだが、海堂にはそんな感情は少しも思い浮かばず、これを書いた2人へと怒りは向いていた。
一人が先輩であることすら忘れて…
「あいつら、殺る!!……ん?」
そんな物騒なことを、呟く海堂の視界に、とても見覚えのある字が掠める。
「何だ?この字は、先輩の字だよな…」
菊丸と桃城によって、滅茶苦茶に書かれた乾のページの片隅に、乾の筆跡の文が一行だけあった。
そこに書かれていたのは…
「好きな物……海堂 薫……って!?」
思わず、その一行を声に出してみた海堂。
声に出してみて、書いてあることの意味に気付いて、びっくりしてノートを地面に落としてしまう。
「なっ…なななな……」
動揺しまくって、言葉が出ない海堂。
真っ赤になって、わとわたと右に左にと端からみたら、おかしな奴と言われてしまっても仕方のないような動きをしていた。
「す、好きな物って…」
『好きだよ、薫』
「うわー!!」
うっかりと、音声付で思い出してしまい、頭を抱えて叫んでしまう海堂。
偶然にも、家に帰ろうと部室から出てきていた一部の部員たちがそれを見てしまい、海堂の声にびっくりして直立不動になっていた。
だが、すぐに何とか復活して、何も聞いてないし、見ていないと言い聞かせて、そそくさとその場を離れていった。
『薫、愛してる』
「うわっ…」
そして、そんなことにも全く気付いていない海堂本人は、うっかり思い出してしまったものだから、そのまま色々と…そんな時のいつもと違って、やけに甘く低い乾の声質や、そんな声を耳元で囁かれる時の状況などを、それはもう連想ゲームのように思い出してしまった海堂。
「ヤバッ…」
気付いた時には、体が熱を思い出して、足に力が入らなくて、そのまま地面にへたり込んでしまう。
「ひ、卑怯っすよ…」
「勝手に、人のノートを見るのは感心しないなー」
ギュッと地面の砂を握り締めて、真っ赤な顔でいつの間にか、後ろに来ていた乾を睨みつける。
この一瞬で、海堂は全てを悟ったのだった。
全てが乾と不二によって作られたシナリオだったのだと。
「嵌めたんっすね」
「嵌めたなんて、人聞きの悪い。海堂がノートに興味を持ってるようだから、少し書き足してあげただけじゃないか」
「思いっきり、嵌めてるじゃないですか!!」
「海堂が、ノートを勝手に見なければ何もなかったと思うんだけどね」
「うっ…」
乾の言葉に、海堂の声がつまる。
到底、口で乾に勝てるわけはないのだから。
「薫…」
「んっ…」
言い返せない海堂に、愉しそうに笑って、乾もしゃがんで海堂の耳元で囁く。
そうすると、既に熱を孕み始めていた海堂の体は過敏に反応する。
「どうする?」
「…ぁ……」
スルリと乾の体温の低い指が海堂の首筋を滑る。
その感触に、海堂の体は小さく振るえ、小さな熱を持った声が吐息とともに吐き出される。
「ねぇ、薫?」
「あっ……先輩……」
「泊まりに来る?」
確信犯的な乾の問いかけに、海堂は揺れる瞳を伏せて、小さく頷く。
その海堂の様子に、乾は満足そうに笑った。
ノートに書かれたたった一行でもって、乾は海堂の持ち帰りに成功した。
勿論、それは海堂専用の別のデーターノートにキチンと書き込まれることになる。
本日、海堂、乾宅にお持ち帰り、決定!!
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